沙本毘古王(サホビコ王)

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沙本毘古王

漢字・読みサホビコノミコ
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沙本毘古王(サホビコ王)

古事記・日本書紀に登場する皇族。
古事記によると父親は日子坐王(ヒコイマスミコ)。
母親は沙本大闇見戸売(オオクラミトメ)。
日本書紀沙本毘古王(サホビコ王)の出自に関する記述はない。
古事記によると日下部連(クサカベノムラジ)・甲斐国造(カヒノクニノミヤツコ)の祖先とある。
父親のヒコイマスは開化天皇(9代)の皇子。
よって沙本毘古王(サホビコ王)は開化天皇の孫にあたる。

古事記によると兄妹に
沙本毘古王(サホビコ王)
袁耶本王(オザホ王)
沙本毘売命(サホビメ命)…別名、佐波遅比売(サワジヒメ)で垂仁天皇の皇后。
室毘古王(ムロビコ王)

とある。よって四人兄弟の長兄で第一子。
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物語・由来

サホビコというと一番の事件は反乱と同母妹との愛。
同母妹のサホビメと愛し合い、結果、垂仁天皇の暗殺を企てて、サホビメに逆に密告されて、鎮圧され殺されてしまいます。これは古事記・日本書紀の両方にあることです。

皇后サホビメは兄のサホビコに「愛しているなら天皇を殺してくれ」と匕首を渡されます。垂仁天皇がサホビネの膝枕で寝ていると、垂仁天皇に夢で宣託があり、目が覚めます。その宣託が「反乱の兆候」で、サホビメはその夢の話を聞くと観念して白状してしまいます。サホビメとサホビコは稲城を作って立てこもり、垂仁天皇の説得にも応じず、二人は焼け死にます。サホビメは稲城で垂仁天皇の子であるホムチワケを産み、ホムチワケは垂仁天皇が引き取り育てます。
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サホの名前の由来?

「サホ」という名前は土地の名前とされます。

しかし、名前から考えると「サ」は稲の霊、「ホ」は稲の穂。サホビメとサホビコはイザナギイザナミのような「兄妹で夫婦」だったと考えた方が自然。その二人が稲ワラで作った城で火に包まれて死ぬ。これは、現在でもやっている「どんどん焼き」「とんど焼き」に近い、農業儀礼ではないかと。稲の霊を焼いて天に返すって意味でしょう。また火が放たれる稲城で「ホムチワケ」が生まれる経緯は、コノハナサクヤヒメが海幸・山幸を産むのと同じ系列の神話(出産と火が関連している神話…イザナミカグツチを出産するのと同じ系統)なんでしょう。

これらの神話を大和朝廷が取り込んだ。
皇后の子供であるホムチワケが次の天皇にならないこと。
またホムチワケが言葉を話せない問題児だったことは、スサノオヒルコと非常によく似た設定です。この辺りはやはり神話を大和朝廷が取り込んだからこそでしょう。それにサホビコが反乱を起こした人物であれば、サホビコの子孫が残っているのは不自然です。
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出自と子孫

日子坐王(ヒコイマスミコ)
沙本の大闇見戸売(オオクラミトメ)…建国勝戸売(タケクニカツトメ)の娘
沙本毘古王(サホビコ王)…日下部連(クサカベノムラジ)・甲斐国造(カヒノクニノミヤツコ)の祖先
袁耶本王(オザホ王)…葛野之別(カヅノワケ)・近淡海(チカツアフミ)の蚊野之別(カノノワケ)
沙本毘売命(サホビメ命)…別名を佐波遅比売(サワジヒメ)・垂仁天皇との間に品牟都和気命をもうける。
室毘古王(ムロビコ王)…若狭(ワカサ)の耳別(ミミノワケ)の祖先

日本書紀では記述はない。
子孫
日下部連(クサカベノムラジ)・甲斐国造(カヒノクニノミヤツコ)の祖先。
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古事記からの引用

開化天皇の孫たち
またヒコイマス王が春日の建国勝戸売(タケクニカツトメ)の娘の沙本の大闇見戸売(オオクラミトメ)を娶って産んだ子が沙本毘古王(サホビコ王)、袁耶本王(オザホ王)、沙本毘売命(サホビメ命)――別名を佐波遅比売(サワジヒメ)です。このサホビメ命は伊久米天皇の后となりました。次に室毘古王(ムロビコ王)の4柱です。

日子坐王の子孫
ヒコイマス王の第四子の沙本毘古王(サホビコノミコ)は、日下部連(クサカベノムラジ)・甲斐国造(カヒノクニノミヤツコ)の祖先です。

日本最古の兄妹愛物語
垂仁天皇がサホビメを妻としたときのことです。
サホビメの兄であるサホビコが妹に問いました。
「夫(=垂仁天皇)と兄(サホビコ)のどちらを愛しているか??」
「兄を愛しています」
とサホビメが答えました。
サホビコは
「お前が本当に私を愛しているならば
お前と私で天下を治めよう」
と言い、すぐに何度も鍛えた小刀を作って、妹に渡しました。
「この小刀で垂仁天皇が寝ているところを刺し殺せ」
垂仁天皇はそんな企みなど知らず、サホビメに膝枕して眠っていました。

サホビメの告白
サホビメは言い逃れできないと思い、すぐに垂仁天皇に打ち明けました。
「わたしの兄 サホビコ王が私に言ったのです。
『夫(=垂仁天皇)と兄のどちらを愛しているか?』
面と向かって言うので、わたしは『兄の方が愛しいかもしれません』と答えてしまいました。
すると兄は
『二人で天下を治めよう。天皇を殺しなさい』と言い、小刀を作ってわたしに渡したのです。それで、あなたの首を刺そうと三度、小刀を振り上げたのですが、悲しくて、刺せず、涙がこぼれて、(垂仁天皇の)顔を濡らしてしまったのです。夢はその兆候なのでしょう」
とサホビメは言いました。

垂仁天皇の沙本毘古王討伐
垂仁天皇は言いました。
「わたしは危うくだまし討ちに会うところだった」
そしてすぐに軍を率いて、サホビコ王を討伐しました。
その討伐した際のことです。
サホビコ王は稲を束ねて壁を作り、垂仁天皇の軍勢を待ち構えていました。サホビメは兄を想い、宮の裏門から抜け出して兄の稲で出来た城に入ってしまいました。そのときサホビメは妊娠していました。
垂仁天応はサホビメが妊娠していることと、三年もの間に育んだ愛情ゆえに思い悩み、サホビコの稲城を攻めきれず、周囲を囲むばかりで、膠着しました。
そうしている間に、サホビメの腹の中の子は生まれてしまいました。
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日本書紀からの引用

垂仁天皇(七)兄と妹の謀反
即位4年秋9月23日。
垂仁天皇の皇后(=サホビメのこと)の同母兄の狹穗彦王(サホビコノミコ)が謀反(ミカドカタブケムトハカリ)し、社稷(クニ)を危ぶめようとしました。
皇后が家でくつろいでいるところに狹穗彦王が来て、言いました。
「お前は、兄と夫(=垂仁天皇)と、どちらが愛しいか?」
皇后は本当の心を隠して
「兄を愛しています」
と答えました。
狹穗彦王は皇后を焚きつけました。
「色(カオ)で仕えるということは、色(カオ)が衰えると寵(メグミ=天皇からの寵愛)は無くなってしまう。今、天下には佳人(カオヨキヒト=美人)は沢山いる。それぞれが寵(メグマレムコト=天皇からの寵愛)を求めている。どうして永遠に色(カオ)に頼れるか。
私に皇位を得させてくれれば、必ずお前と天下を治めよう。それで枕を高くして永遠に100年を過ごすのも悪くないだろう。頼むから、私のために天皇を殺してくれ」
それで匕首(ヒモカタナ=あいくち=小刀)を取り出し、皇后に授けて言いました。
「この匕首を衣の中に隠して、天皇が寝ているときに、首を刺して殺してくれ」
皇后は心の中で恐れ震えて戦慄いて、どうすればいいか分かりませんでした。しかし、兄の志を見ると、簡単に諌めることはできそうにありません。それでその匕首を受け取り、独りで隠し切れそうにもなく、衣の中にしまいました。ついに兄を諌めることはできませんでした。

垂仁天皇(八)皇后狹穗姫の告白

垂仁天皇(九)倭日向武日向彦八綱田
すぐに近くの縣(コオリ)の卒(ツワモノ=兵士)を派遣して、上毛野君(カミツケノキミ)の遠祖の八綱田(ヤツナダ)に命じて狹穗彦(サホビコ)を討たせました。狹穗彦は師(イクサ=軍)を起こして、迎え撃ちました。たちまち稲を積み上げて城を作りました。それが固くて破れません。これを稲城(イナキ)といいます。
翌月になっても従いません。

そのとき火の勢いが増し、城が崩れました。
軍衆(イクサヒトドモ)はことごとく走って逃げました。
狹穗彦(サホビコ)と妹はともに城の中で死んでしまいました。天皇は将軍の八綱田(ヤツナダ)の功を褒め、その名を倭日向武日向彦八綱田(ヤマトノヒムカタケヒムカヒコヤツナダ)としました。
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