日子坐王(ヒコイマスミコ)

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日子坐王

漢字・読みヒコイマスミコ
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日子坐王(ヒコイマスミコ)

日子坐王(ヒコイマスミコ)は開化天皇(9代)の皇子。
古事記では日子坐王(ヒコイマスミコ)。
日本書紀では彦坐王(ヒコイマスノミコ)。
出自
古事記では父親は開化天皇、母親は意祁都比売命(オケツヒメノミコト)。
日本書紀では父親は開化天皇、母親は姥津媛(ハハツヒメ)。
どちらにしてもワニノオミ(丸邇臣・和珥臣)の祖先の一族の妹。名前は違いますが、同一人物と考えて差し支えないでしょう。
活動
古事記によれば崇神天皇(10代)の時代に「日子坐王に丹波国に派遣して、玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)を殺させた」とあります。これは日本書紀では四道将軍の活動に対応する、のかもしれないです。この活動は日本書紀ではヒコイマスではなく、息子の丹波道主王(タニハノチヌシノオオキミ)が担当しています。
子孫が多い
日子坐王は系譜が多く、その子孫が物語にやたらと絡んできますが、日子坐王がやったことはこれ一つだけです(日本書紀には事績は全くない)。

垂仁天皇(11代)はサホビメを皇后にするのですが、サホビメは兄サホビコと内通して反乱し、死んでしまいます。そのサホビメ・サホビコも日子坐王の子です。さらに、垂仁天皇はサホビメの後に、「丹国の五(イツトリ)の婦人」を娶るのですが、日本書紀によれば、その5人姉妹も彦坐王(ヒコイマスノミコ)の孫だとあります。さらには神功皇后も子孫に生まれています。
●サホビメ・サホビコもヒコイマスの子供ですが、その記述は古事記にしかない。
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出自

古事記によると
開化天皇
意祁都比売命(オケツヒメノミコト
日子坐王(ヒコイマスミコ)

日本書紀によると
開化天皇
姥津媛(ハハツヒメ)
彦坐王(ヒコイマスノミコ)

古事記での后妃と子孫

古事記によると
日子坐王(ヒコイマスミコ)
荏名津比売(エナツヒメ)…別名は苅幡戸弁(カリハタトベ)
大俣王(オオマタ王)…子に曙立王(アケタツノミコ)・菟上王(ウナカミノミコ)
小俣王(コマタ王)
志夫美宿禰王(スブミノスクネ王)

日子坐王(ヒコイマスミコ)
沙本大闇見戸売(オオクラミトメ)…建国勝戸売(タケクニカツトメ)の娘
沙本毘古王(サホビコ王)
袁耶本王(オザホ王)
沙本毘売命(サホビメ命)…別名を佐波遅比売(サワジヒメ)
室毘古王(ムロビコ王)

日子坐王(ヒコイマスミコ)
息長水頼比売(オキナガノミズヨリヒメ)…近淡海の御上祝が信奉する天之御影神(アメノミカゲ神)
丹波比古多々須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ王)…子に垂仁天皇の皇后となった比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)など
水穂之真若王(ミズホノマワカ王)
神大根王(カムオオネ王)…別名は八瓜入日子王(ヤツリノイリヒコ王)・三野国(ミノノクニ)の本巣国造(モトスノクニノミヤツコ)・長幡部連(ナガハタベノムラジ)の祖先
水穂五百依比売(ミズホノイホヨリヒメ)
御井津比売(ミイツヒメ)

日子坐王(ヒコイマスミコ)
袁祁都比売命(オケツヒメ命)…日子坐王から見て母の妹
大筒木真若王(オオツツキマワカ王)…子に迦邇米雷王(カニメイカヅチノミコ)…子孫に神功皇后
比古意須王(ヒコオス王)
伊理泥王(イリネ王)

日本書紀には子の記述はない。ただし、ヒコイマスの子の「丹波道主王(タニハノチヌシノオオキミ)」の孫の日葉酢媛(ヒバスヒメ)姉妹は垂仁天皇の后妃になっています。詳細な系譜の記述はないけど。
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古事記からの引用

開化天皇の子供たち
また丸邇臣(ワニノオミ)の祖先の日子国意祁都命(ヒコクニオケツノミコト)の妹の意祁都比売命(オケツヒメノミコト)を娶って産んだ子供は日子坐王(ヒコイマスミコ)の1柱です。

開化天皇の孫たち
ヒコイマス王(日子坐王)が山代のエナツヒメ(荏名津比売)…別名はカリハタトベ(苅幡戸弁)を娶った産んだ子が、大俣王(オオマタ王)、コマタ王(小俣王)、スブミノスクネ王(志夫美宿禰王)の三柱です。

またヒコイマス王が春日のタケクニカツトメ(建国勝戸売)の娘の沙本のオオクラミトメ(大闇見戸売)を娶って産んだ子がサホビコ王(沙本毘古王)、オザホ王(袁耶本王)、サホビメ命(沙本毘売命)――別名をサワジヒメ(佐波遅比売)です。このサホビメ命は伊久米天皇の后となりました。次にムロビコ王(室毘古王)の4柱です。

日子坐王の子供たち
また、日子坐王(ヒコイマス王)は近淡海(チカツアフミ)の御上祝が信奉する天之御影神(アメノミカゲ神)の娘で息長水頼比売(オキナガノミズヨリヒメ)を娶って産んだ子供が、丹波比古多々須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ王)、水穂之真若王(ミズホノマワカ王)、神大根王(カムオオネ王)――別名は八瓜入日子王(ヤツリノイリヒコ王)、水穂五百依比売(ミズホノイホヨリヒメ)、御井津比売(ミイツヒメ)の5柱です。

また日子坐王(ヒコイマス王)が母の妹の袁祁都比売命(オケツヒメ命)を娶って産んだ子供が大筒木真若王(オオツツキマワカ王)、比古意須王(ヒコオス王)、伊理泥王(イリネ王)の三柱です。

日子坐王(ヒコイマス王)の子供は合わせて11王です。

日子坐王の子孫
ヒコイマス王(=開化天皇の子供)の第一子の大俣王(オオマタノミコ)の子供は、曙立王(アケタツノミコ)と菟上王(ウナカミノミコ)のニ柱です。

曙立王は伊勢の品遅部君(ホムヂベノキミ)・伊勢の佐那造(サナノミヤツコ)の祖先です。
菟上王は菟上王(ウナカミノミコ)は、比売陀君(ヒメダノキミ)の祖先です。

ヒコイマス王の第二子の小俣君(オマタノミコ)は当麻勾君(タギマノマガリノキミ)の祖先です。

ヒコイマス王の第三子の志夫美宿禰王(シブミノスクネノミコ)は、佐々君(ササノキミ)の祖先です。

ヒコイマス王の第四子の沙本毘古王(サホビコノミコ)は、日下部連(クサカベノムラジ)・甲斐国造(カヒノクニノミヤツコ)の祖先です。

ヒコイマス王の第五子の袁耶本王(ヲギホノミコ)は、葛野之別(カヅノワケ)・近淡海(チカツアフミ)の蚊野之別(カノノワケ)の祖先です。

ヒコイマス王の第六子の室毘古王(ムロビコノキミ)は、若狭(ワカサ)の耳別(ミミノワケ)の祖先です。

ヒコイマス王の第七子の美知能宇志王(ミチノウシノミコ)、丹波(タニハ)の河上(カハカミ)の麻須郎女(マスノイラツメ)を娶って産んだ子が、比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)、真砥野比売命(マトノヒメノミコト)、弟比売命(オトヒメノミコト)、朝廷別王(ミカドワケノミコ)。四柱。この朝廷別王は、三川(ミカハ)の穂別(ホノワケ)の祖先です。

建波邇安王の反逆
また日子坐王(ヒコイマスノミコ)を丹波国に派遣して、玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)という人間を殺しました。

息長帯比売命への系譜
美知能宇斯王(ミチノウシノミコ)の弟、水穂真若王(ミヅホノマワカノミコ)は、近淡海(チカツアフミ)の安直(ヤスノアタヒ)の祖先です。

神大根王(カムオホネノミコ)は、三野国(ミノノクニ)の本巣国造(モトスノクニノミヤツコ)・長幡部連(ナガハタベノムラジ)の祖先です。

山代の大筒木真若王(オホツツキマワカノミコ)が、弟である伊理泥王(イリネノミコ)の娘の、丹波の阿治佐波毘売(アヂサハビメ)を娶って産んだ子が、迦邇米雷王(カニメイカヅチノミコ)です。

この迦邇米雷王が丹波の遠津臣(トホツオミ)の娘の、高材比売(タカキヒメ)を娶って産んだ子供が、息長宿禰王(オキナガノスクネノミコ)です。

この息長宿禰王が葛城の高額比売(タカヌカヒメ)を娶った産んだ子が、息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)、虚空津比売命(ソラツヒメノミコト)、息長日子王(オキナガヒコノミコ)の三柱です。

この息長日子王は吉備の品遅君(ホムヂノキミ)・針間(ハリマ)の阿宗君(アソノキミ)の祖先です。

また息長宿禰王、河俣(カハマタ)の稲依毘売(イナヨリビメ)を娶って産んだ子が、大多牟坂王(オホタムサカノミコ)です。大多牟坂王は多遅麻国造(タヂマノクニノミヤツコ)の祖先です。
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日本書紀からの引用

開化天皇(日本書紀)
次の妃である、和珥臣(ワニノオミ)の遠祖の姥津命(ハハツノミコト)の妹の姥津媛(ハハツヒメ)は彦坐王(ヒコイマスノミコ)を生みました。

垂仁天皇(九)倭日向武日向彦八綱田
丹国の五(イツトリ)の婦人(オミナ)がいます。心も体も清らかです。この人たちは丹波道主王(タニハノチヌシノオオキミ)の娘です。
道主王は、稚日本根子太日々天皇(ワカヤマトネコフトヒヒノスメラミコト=開化天皇)の孫で、彦坐王(ヒコイマスノミコ)の子です。ある伝によると彦湯産隅王(ヒコユムスミノミコ)の子です。
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