穂積臣

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穂積臣

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穂積臣

穂積臣は古事記・日本書紀に登場する氏族の名前。
最初の登場は古事記での「ニギハヤヒ」の子供の宇麻志麻遅命(ウマシマジ命)を始祖とした氏族

以下に穂積の氏族と思われる人物を羅列します。
内色許男命(ウツシコヲノミコト
内色許売命(ウツシコメノミコト
建忍山垂根(タケオシヤマタリネ)
弟財郎女(オトタカラノイラツメ)
大水口宿禰(オオミクチノスクネ)
穂積氏忍山宿禰(ホヅミノウジノオシヤマノスクネ)=穂積臣押山(ホズミノオミオシヤマ)
弟橘媛(オトタチバナヒメ)
穗積磐弓臣(ホヅミノイワユミノオミ)
穂積臣(ホズミノオミ)…推古天皇の時代の名前のわからない穂積。
穂積臣咋(ホズミノオミクイ)=穗積咋臣(ホズミノクイノオミ)=穗積嚙臣(ホズミノクイノオミ)
穂積朝臣山守(ホズミノアソミヤマモリ)
穗積臣百足(ホズミノオミモモタリ)
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古事記からの引用

ニギハヤヒが宝を献上する
その後、ニギハヤヒトミビコ(=ナガスネヒコ)の妹の登美夜毘売(トミヤビメ)と結婚して、生まれた子が宇麻志麻遅命(ウマシマジ命)です。宇麻志麻遅命(ウマシマジ)は物部連(モノノベノムラジ)・穂積臣(ホズミノオミ)・婇臣(ウネノオミ)の祖先です。

孝元天皇と妻、その子供たち
穂積臣の祖先である内色許男命(ウツシコヲノミコト)の妹の内色許売命(ウツシコメノミコト)を娶った産んだ子供が、
大毘古命(オオビコノミコト)
少名日子建猪心命(スクナヒコタケイゴコロノミコト)
若倭根子日子大毘々命(ワカヤマトネコヒコオホビビノミコト=開化天皇

若帯日子天皇は天下を治める
この成務天皇穂積臣(ホヅミノオミ)等の祖先である建忍山垂根(タケオシヤマタリネ)の娘の弟財郎女(オトタカラノイラツメ)を娶って生んだ子が和訶奴気王(ワカヌケ)です。
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日本書紀からの引用

垂仁天皇(十六)もう一つの天照大神の祭祀物語
ある書によると…
天皇は倭姫命(ヤマトヒメノミコト)を御杖(ミツエ=依り代と同じ意味)として、天照大神に奉りました。それで倭姫命は天照大神を磯城(シキ=地名)の嚴橿(イツカシ=神の依代となる木)の根元に鎮座して祀りました。その能登に神の教えの通りに即位26年冬10月に伊勢国の渡遇宮(ワタライノミヤ)に移りました。
このときに倭大神は穂積臣(ホズミノオミ)の遠祖の大水口宿禰(オオミクチノスクネ)に降りて教えました。

景行天皇(三十三)馳水の地名説話
すぐに海中(ワタナカ=海の沖の方)へと到着すると、暴風(アラキカゼ)がたちまち起き、王船(ミフネ)は漂い渡れませんでした。そのときに王に従う妾(オミナ)がいました。弟橘媛(オトタチバナヒメ)といいます。穂積氏忍山宿禰(ホヅミノウジノオシヤマノスクネ)の女(ムスメ)です。(弟橘媛が)王(=ヤマトタケル)に言いました。

景行天皇(四十五)日本武尊の妃と子女
次の妃の穗積氏忍山宿禰(ホヅミノウジノオシヤマノスクネ)の娘の弟橘媛(オトタチバナヒメ)は稚武彦王(ワカタケヒコノミコ)を生みました。

継体天皇(十二)任那国の上哆唎・下哆唎・娑陀・牟婁を百済が請求
即位6年夏4月6日。穂積臣押山(ホズミノオミオシヤマ)を派遣して百済の使者としました。それで筑紫国の馬40匹を与えました。

継体天皇(十四)大兄皇子の奔走・大伴金村の賄賂の噂
ある人は流言して言いました。
「大伴大連(オオトモノオオムラジ)は哆唎国守(タリノクノミコトモチ)の穗積臣押山(ホズミノオミオシヤマ)とともに百済から賄賂を受けた」と。

継体天皇(十五)姐彌文貴将軍と洲利卽爾将軍・五経博士の段楊爾
即位7年夏6月。百済は姐彌文貴将軍(サミモンクイショウグン)・洲利卽爾将軍(ツリソニショウグン)を派遣して穂積臣押山(ホズミノオミオシヤマ)
に沿えて五経博士(ゴキョウハカセ)の段楊爾(ダンヨウニ)を献上しました。

継体天皇(三十)百済王「多沙津を朝貢する津路としたい」
即位23年春3月。百済王は下哆唎国守(アルシタリノクニノミコトモチ)の穗積押山臣(ホズミノオシヤマノオミ)に語って言いました。
「その朝貢する使者は常に嶋曲(ミサキ)を避けるごとに毎回風波に苦しむ。
海中の嶋の曲(クマ)の崎岸(サキ)をいいます。

それで、もたらす所(=船内の貢物の所蔵場所)のものを潤して、全てを損なってしまい、醜くなります。請い願う。加羅(カラノクニ)の多沙津(タサノツ)をわたしめが朝貢する津路(ミチ=海路)としよう」
それで押山臣(オシヤマノオミ)は、それを聞いて継体天皇に申し上げました。

欽明天皇(七十)白猪屯倉の設置
(即位16年)秋7月4日。蘇我大臣稲目宿禰(ソガノオオオミイナメノスクネ)・穗積磐弓臣(ホヅミノイワユミノオミ)たちを派遣して吉備の五つの郡(コオリ)に白猪屯倉(シライノミヤケ)を設置しました。

推古天皇(九)境部臣と穂積臣による新羅討伐
即位8年春2月。新羅と任那は攻め合い、戦争をしました。天皇は任那を救おうと思いました。

この年、境部臣(サカイベノオミ)に命じて大将軍としました。穂積臣(ホズミノオミ)を副将軍としました。
どちらも名を漏らしており、分かりません。

孝徳天皇(二十六)穂積臣咋と巨勢徳禰臣の罪
朝廷に集まった使者たちが、詳細のその状況を陳情したところ、穂積臣咋(ホズミノオミクイ)が犯した罪は、百姓の中に戸(ヘ=1家庭)ごとに金品を求めた。その罪を咎められて、物を返した。しかし、すべては返さなかった。
介(スケ=次官=役人の階級=補佐)の富制臣(フセノオミ)…
名前は漏れていてわからない。
と、巨勢臣紫檀(コセノオミシタノ)の二人の過(トガ=罪)は、その上(=上司のことで、ここでは穂積臣咋のこと)を正ささなかったことです。云々。それ以下の地位の官人(ツカサヒト=役人)にも全員に過(トガ)がある。

孝徳天皇(三十)紀麻利耆拕臣・巨勢徳禰臣・穗積咋臣に罰を…
紀麻利耆拕臣(キノマリキタノオミ)・巨勢徳禰臣(コセノトコネノオミ)・穗積咋臣(ホズミノクイノオミ)、お前たち3人は、怠惰であり、拙い。あの詔(ミコトノリ)に違反したことを思えば、どうして心を痛めないでいられようか。君主や臣となって民を養うものは、自らが率先して正しくなければ、誰が正して直すというのか。もし君主や臣の心が正しくなければ、その罪を受けるべきだ。

孝徳天皇(五十一)阿倍大臣の死・蘇我日向の讒言
天皇は大伴狛連(オオトモノコマノムラジ)・三国麻呂公(ミクニノマロノキミ)・穗積嚙臣(ホズミノクイノオミ)を蘇我倉山田麻呂大臣のところに使者として派遣して、反乱の虚実を問いました。大臣は答えて言いました。
「問いに対する報告は、私めが面と向かって、天皇の下で陳情しましょう」
天皇は三国麻呂公(ミクニノマロノキミ)・穗積嚙臣(ホズミノクイノオミ)を派遣して、その反乱する状況を審(ツバヒラカ=善悪をハッキリさせる)にしようとしました。

孝徳天皇(五十三)事後処理・14人の斬首と9人の絞首
(即位5年3月)26日。山田大臣の妻子と随身者(トモビト=従者)は自殺して死ぬ者が多かった。穗積臣嚙(ホズミノオミクイ)は大臣の伴党(トモガラ=仲間=一族)の田口臣筑紫(タグチノオミツクシ)たちを捕らえ集めて、枷(クビカシ=首に填める枷)をつけて、反(シリデ=手を背中に回して)に縛りました。この夕方に木臣麻呂(キノオミマロ)・蘇我臣日向(ソガノオミヒムカ)・穗積臣嚙は軍を率いて寺を囲みました。

天武天皇(十二)近江朝廷の対応
「遅く対処すれば、後手になるでしょう。ですから、速やかに騎馬を集めて、それに乗って、跡を追い、攻めれば…」
皇子は従いませんでした。韋那公磐鍬(イナノキミイワスキ)・書直薬(フミノアタイクスリ)・忍坂直大摩侶(オシサカノアタイオオマロ)を東国に派遣しました。穗積臣百足(ホズミノオミモモタリ)・弟の五百枝(イホエ)・物部首日向(モノノベノオビトヒムカ)を倭の京(ミヤコ)に派遣しました。

天武天皇(十七)飛鳥寺の陣営の内応・穂積臣百足の殺害・軍を整備し乃楽へ
高市皇子の命令と称して、穂積臣百足を小墾田の兵庫に呼び寄せました。百足は馬に乗って、ようやっと来ました。飛鳥寺の西の槻(ツキ)の下に到着すると、人が言いました。

天武天皇(百二十七)難波の室宮の火事・無端事・御窟殿で倡優に禄を
1月19日。地震がありました。
この月に新羅の金智祥(キンチジョウ)を宴会をしてもてなすために、淨広肆の川内王(カフチノオオキミ)・直広参の大伴宿禰安麻呂(オオトモノスクネヤスマロ)・直大肆の藤原朝臣大嶋(フジワラノアソミオオシマ)・直広肆の境部宿禰鯯魚(サカイベノスクネコノシロ)・直広肆の穂積朝臣蟲麻呂(ホズミノアソミムシマロ)たちを筑紫に派遣しました。

天武天皇(百三十六)発哭と各人の誄
次に直広肆の穂積朝臣蟲麻呂(ホズミノアソミムシマロ)は諸国司(クニグニノミコトモチ)の事を誄しました。

持統天皇(十三)筑紫の防人は満年になれば交替させなさい
2月26日。浄広肆の竹田王(タケダノオオキミ)・直広肆の土師宿禰根麻呂(ハジノスクネネマロ)・大宅朝臣麻呂(オオヤケノアソミマロ)・藤原朝臣史(フジワラノアソミフビト)・務大肆の当麻真人桜井(タギマノマヒトサクライ)、穂積朝臣山守(ホズミノアソミヤマモリ)・中臣朝臣々麻呂(ナカトミノアソミオミマロ)・巨勢朝臣多益須(コセノアソミタヤス)・大三輪朝臣安麻呂(オオミワノアソミヤスマロ)を判事(コトワルツカサ=現在でいう裁判官)としました。

持統天皇(三十三)18氏に祖の墓記を
(即位5年)8月13日。18の氏…
大三輪(オオミワ)・雀部(サザキベ)・石上(イソノカミ)・藤原(フジワラ)・石川(イシカワ)・巨勢(コセ)・膳部(カシワデ)・春日(カスガ)・上毛野(カミツケノ)・大伴(オオトモ)・紀伊(キ)・平群(ヘグリ)・羽田(ハタ)・阿倍(アヘ)・佐伯(サエキ)・采女(ウネメ)・穂積(ホズミ)・阿曇(アズミ)
に詔(ミコトノリ)して、その祖先たちの墓記(オクツキノフミ)を献上させました。
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