豊木入日子命(トヨキイリヒコノミコト)

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豊木入日子命

漢字・読みトヨキイリヒコノミコト
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豊木入日子命(トヨキイリヒコノミコト)

豊木入日子命(トヨキイリヒコノミコト)は古事記に登場する人物。
皇子。
性別は男性。
古事記では具体的な活躍は見られない。
日本書紀では弟である垂仁天皇(11代)…活目尊(イクメノミコト)と皇位を争って、敗れたというべきか、東国に行き、上毛野君(カミツケノノキミ)・下毛野君(シモツケノノキミ)の始祖となっている。
妹の豊鉏入日売命もかなりの重要人物で天照大神を最初に祀っている。
記述
古事記では豊木入日子命(トヨキイリヒコノミコト)。
日本書紀では豊城入彦命(トヨキイリビコノミコト)。
日本書紀では豊城命(トヨキノミコト)とも表記される。
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物語・由来

日本書紀での皇位をめぐる物語
日本書紀では崇神天皇が次の天皇を選ぶにあたり、二人の皇子に「夢を見る」ように告げる。当時は夢は神のお告げであると考えていたので、二人の皇子は夢を見て、報告をした。豊城命は「御諸山で東に向いて槍と刀を振った」夢を見た。弟の活目尊は「御諸山で四方に縄を張って、粟を食べるスズメを追い払った」夢を見ました。崇神天皇は豊城命は東だけを向いているとし、活目尊は四方を見ているとし、活目尊(=垂仁天皇)に皇位を譲った。
この話は古事記には見られません。

大和朝廷は崇神天皇の時代に四道将軍を派遣し、東国に影響力を持つようになった。とはいえ、まだまだ未開の土地であることに変わりはありません。その土地に入植したことを表していはいると思います。例によって「兄はいなくなり、弟が残る」という日本神話ではよくある兄弟神話です。
名前で考える
古事記では豊木と書き、日本書紀では豊城。
ちなみに崇神天皇の本名が「御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエ)・御間城入彦五十瓊殖天皇(ミマキイリビコイニエノスメラミコト)」です。「キ」に関しては同じ用法何ですよね。後、妹の名前が「豊鉏入日売命」。名前の「鉏(鋤)」…農機具の「鋤」と対になるのは「城」よりは「木」でしょう。私は「木」が本来のニュアンスに近いのではないかと思います。つまり豊木入日子命は農業神だと考えるべきです。日本書紀には「槍・刀」を掲げた夢が書いてあるので「武力」をイメージしますが、これも農業儀式の一種だったのではないかと。
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解説

豊木入日子命の夢は「東国の開墾・入植」を表した夢で、活目尊は地元の神…御諸山の神…つまり大物主を守るという示唆です。
おそらく、この時代に一部の人が東国に入植した。当然、四道将軍による影響力の広がりが原因です。その入植の経緯を神話化したものが、この夢の神話ではないかと。後、この神話のそもそもはやはり季節神話だと思います。古い季節を象徴する兄が遠い国に行った。新しい季節を象徴する弟は残った。どうして兄は出て行き、弟は残ったのか…それは夢のお告げがあったからだ…ってことです。

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出自と子孫

古事記によると
崇神天皇
遠津年魚目々微比売…木国造の荒河戸畔(アラカワトベ)の娘
豊木入日子命(トヨキイリヒコノミコト) …子孫の記述なし
豊鉏入日売命(トヨスキイリヒメノミコト)

日本書紀によると
崇神天皇
遠津年魚眼眼妙媛…紀伊国の荒河戸畔(アラカワトベ)の娘
豊城入彦命(トヨキイリビコノミコト)…別名が豊城命(トヨキノミコト)、上毛野君(カミツケノノキミ)・下毛野君(シモツケノノキミ)の始祖
豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)
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引用

古事記からの引用
祟神天皇の后妃と御子
この祟神天皇は木国造である荒河刀弁(アラカハトベ)の娘の遠津年魚目々微比売(トオツアユメマクハシヒメ)を娶って産んだ子供が
豊木入日子命(トヨキイリヒコノミコト)
豊鉏入日売命(トヨスキイリヒメノミコト)
です。

日本書紀からの引用
崇神天皇(二)崇神天皇の皇后と妃とその子供たち(日本書紀)
また妃の紀伊国の荒河戸畔(アラカワトベ)の娘の遠津年魚眼眼妙媛(トオツアユメマクハシヒメ)
ある書によると大海宿禰(オオアマノスクネ)の娘の八坂振天某邊(ヤサカフルアマイロベ)とも

が、豊城入彦命(トヨキイリビコノミコト)・豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)を生みました。

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