千々都久和比売命(チチツクワヒメノミコト)

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千々都久和比売命

漢字・読みチチツクワヒメノミコト
別名千々衝倭姬命(チチツクヤマトヒメノミコト)
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千々都久和比売命(チチツクワヒメノミコト)

千々都久和比売命(チチツクワヒメノミコト)は古事記に登場する人物。
おそらく女性。
皇族。皇女。
日本書紀では千々衝倭姫命(チチツクヤマトヒメミコト)と記述される。
父親は崇神天皇(11代)。
母親は古事記では御真津比売命(ミマツヒメノミコト)、日本書紀では御間城姫(ミマキヒメ)。日本書紀は御間城姫の出自について記述がありませんが、古事記によると御真津比売命の父親は孝霊天皇(8代)の皇子の大毘古命大毘古命は記紀の中で大活躍する人物。異母兄弟については「御真木入日子印恵命」や「祟神天皇の后妃と御子」の記事を参考に。
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物語・由来

記述
古事記では千々都久和比売命(チチツクワヒメノミコト)。
日本書紀では千々衝倭姫命(チチツクヤマトヒメノミコト)。
音はほぼ同じ。名前を比べると千々都久和比売命の「和(ワ)」が、千々衝倭姫命の「倭(ヤマト)」と対応しているので、「和=倭」という感覚があったのでしょう。「和」単独で「大和」と考えていたのでしょう。
名前について
日本書紀の千々衝倭姫命の「倭姫(ヤマトヒメ)」という同じ名前の人物が垂仁天皇(11代)の皇女に登場します。ヤマトは地名で「姫」は「日女」で太陽の神の使者・巫女か、太陽の神の娘か、そんな意味です。
最初の「チチ」は、「多い」とか「長い」とか「大きい」といった意味の尊称です。
で、問題は「ツク」です。
ツクは「ミミズク」のツクで、鳥のことかもしれません。古代では鳥が神を連れてきて、里の田畑に穀物神を宿す存在です。そういう巫女的な女神が元のイメージなんでしょう。
もしくは「衝」は中心という意味であり、「都久」は音だけを取ったのかもしれないので意味が通じるとは思えませんが、世界の中心である「都」という意味かもしれません。
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出自

古事記での
崇神天皇
御真津比売命(ミマツヒメノミコト)…大毘古命(オオビコノミコト)の娘
伊玖米入日子伊沙知命(イクメイリヒコイサチノミコト)=垂仁天皇
伊耶能真若命(イザノマワカノミコト)
国片比売命(クニカタヒメノミコト)
千々都久和比売命(チチツクワヒメノミコト)
伊賀比売命(イガヒメノミコト)
倭日子命(ヤマトヒコノミコト)


日本書紀での
崇神天皇
御間城姫(ミマキヒメ)…出自の記述はない
活目入彦五十狹茅天皇(イクメイリヒコイサチノスメラミコト)=垂仁天皇
彦五十狹茅命(ヒコイサチノミコト)
国方姫命(クニカタヒメノミコト)
千々衝倭姫命(チチツクヤマトヒメノミコト)
倭彦命(ヤマトヒコノミコト)
五十日鶴彦命(イカツルヒコノミコト)
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引用

古事記からの引用
祟神天皇の后妃と御子2
祟神天皇は、孝元天皇の息子の大毘古命(オオビコノミコト)の娘である御真津比売命(ミマツヒメノミコト)を娶り、
伊玖米入日子伊沙知命(イクメイリヒコイサチノミコト)
伊耶能真若命(イザノマワカノミコト)
国片比売命(クニカタヒメノミコト)
千々都久和比売命(チチツクワヒメノミコト)
伊賀比売命(イガヒメノミコト)
倭日子命(ヤマトヒコノミコト)
の6柱を産みました。

日本書紀からの引用
崇神天皇(二)崇神天皇の皇后と妃とその子供たち(日本書紀)
2月16日。御間城姫(ミマキヒメ)を皇后としました。これより先に…(皇后になる以前に)、后は活目入彦五十狹茅天皇(イクメイリヒコイサチノスメラミコト=垂仁天皇)・彦五十狹茅命(ヒコイサチノミコト)・国方姫命(クニカタヒメノミコト)・千々衝倭姫命(チチツクヤマトヒメノミコト)・倭彦命(ヤマトヒコノミコト)・五十日鶴彦命(イカツルヒコノミコト)を生みました。
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