意富多々泥古(オオタタネコ)

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意富多々泥古

漢字・読みオオタタネコ
別名意富多々泥古命・大田々根子・大田々根子命
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概要

意富多々泥古は古事記に登場する人物。
性別は不明。
一般的には男性という扱い。
記述
古事記では意富多々泥古(オホタタネコ・オオタタネコ)・意富多々泥古命。
日本書紀では大田々根子(オオタタネコ)・大田々根子命(オオタタネコノミコト)。
出自
古事記によると河内の美努村に住んでいた。
日本書紀によると茅渟縣(チヌノアガタ)の陶邑に住んでいた。

古事記では「大物主大神(オホモノヌシノオホカミ)が陶津耳命(スエツミミノミコト)の娘である活玉依毘売(イクタマヨリビメ)を娶って産んだ櫛御方命(クシミカタノミコト)の子の飯肩巣見命イヒカタスミノミコト)の子の建甕槌命(タケミカヅチノミコト)の子がオオタタネコ」とあり、大物主から見て玄孫(5代孫)となっている。

日本書紀によると「大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)と活玉依媛(イクタマヨリヒメ)の子」とある。「奇日方天日方武茅渟祇(クシヒカタアマツヒカタタケチヌツミ)の娘」ともある。奇日方天日方武茅渟祇は活玉依媛の親の陶津耳(スエツミミ)の別名とされます。
子孫
古事記では神君(ミワノキミ)・鴨君(カモノキミ)の先祖。
日本書紀では三輪君(ミワノキミ)の始祖とある。
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物語をザックリと

物語
意富多々泥古は活動したというよりは、大物主の子孫であることを理由にして、大物主を祀るようになるというもの。

そもそもの発端は国が荒れたこと。疫病が蔓延し、人が死んだ。原因を調べると大物主が祟っているらしい。で、どうやったら祟りが止むかと聞くと「子孫のオオタタネコ」に祀らせろと答えたので、その通りにすると祟りがやんだ、というお話。オオタタネコは主体的に動いていないから、感情移入できないが非常に重要なお話。

物語の意味

崇神天皇の時代に儒教の断片が入っていて、血統を重んじるようになったのでしょう。血統を重んじるということは、代々親から子へと権力が続いていきますから社会は安定します。その社会変革のきっかけが大物主の祟りであり、変化の結果がオオタタネコの血統が祭祀者となったってことです。
●儒教の血統至上主義がいかに安定するのかは北朝鮮の将軍を見ればわかると思います。

おそらくこの時代に「皇統」という概念ができたか、その萌芽があったのではないかと思います。それ以前に「皇統」という概念がなかった。だから神武天皇以降の俗にいう欠史八代は簡単な記述に留まったのでしょう。崇神天皇までは権力の根拠が皇統ではなかったってことです。
別の血統重視物語
オオタタネコとは別にこの血統重視・皇統重視を示唆する物語が日本書紀にあります。
それが「崇神天皇(四)疫病で国民の半数が死亡(日本書紀)」に登場する「豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)」と「渟名城入姫(ヌナキノイリヒメ)」です。
疫病・国の荒廃の原因を「宮に天照大神と倭国魂を一緒に祀っているからだ」と考えた崇神天皇は自分の娘に二柱の神をそれぞれ託して別々の場所で祭らせます。天照大神を祀った豊鍬入姫命は問題なかったのですが、倭国魂を祀った渟名城入姫は髪が抜け痩せ衰えてしまいます。
なぜか?
それは天照大神は天皇の先祖だけど、倭国魂は先祖じゃないからです。
先祖じゃない倭国魂を祀った渟名城入姫はエライ目にあった。
ってことは崇神天皇の時代には天皇は天照大神の子孫であるという感覚があったってことです。まぁ、後世の創作の可能性はあるんですが、ある程度は史実だと思います。
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名前で考える

オオタタネコは広い田んぼの「種」の使者か、「根の国」の使者か、ともかく穀物神の名前です。大物主という山の穀物神の子孫としてふさわしい名前です。実在の人物ではない、という意味ではありませんよ。

古事記からの引用

疫病と大物主神
「疫病はわたし(=オオモノヌシ)の意思だ。
意富多々泥古(オホタタネコ)という人物にわたしを祭らせれば、祟り(タタリ)は起きなくなり、国は平安になるだろう」
と言いました。

そこで駅使(ハユマヅカヒ)を放ち、あちこちで意富多々泥古(オホタタネコ)なる人物を探したところ、河内の美努村に意富多々泥古(オホタタネコ)を見つけ、朝廷に差し出しました。

祟神天皇が
「お前は誰の子だ?」
と尋ねると答えて言いました。
「私は大物主大神(オホモノヌシノオホカミ)が陶津耳命(スエツミミノミコト)の娘である活玉依毘売(イクタマヨリビメ)を娶って産んだ櫛御方命(クシミカタノミコト)の子の飯肩巣見命イヒカタスミノミコト)の子の建甕槌命(タケミカヅチノミコト)の子のオオタタネコです」
と答えました。

大物主神の祟りは収まる
祟神天皇は悦びました。
「これで天下は静まり、国民は栄える」
すぐに意富多々泥古命(オオタタネコ)を神主として、三輪山にオオミワ大神を奉りました。

オオタタネコの出自
省略

三輪山説話・美和の由来
意富多々泥古命(オホタタネコノミコト)は神君(ミワノキミ)・鴨君(カモノキミ)の祖先です。
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日本書紀からの引用

崇神天皇(六)大物主の夢のお告げ(日本書紀)
この晩の夢に、一人の高貴な人物が現れました。宮殿の入り口に向かって立って、大物主神(オオモノヌシカミ)と名乗りました。
「天皇(スメラミコト)!!
また憂いているな。
国が治まらないのは、わたしの意思だ!!
もし、我が子、大田々根子(オオタタネコ)に私を祀らせれば、たちどころに国は平穏になる。また海外(ワタノホカ)の国があり、自然と従うだろう」

崇神天皇(七)大田々根子命を探し出す(日本書紀)
「昨夜、夢を見ました。
一人の高貴な人がいまして、教えてくれました。
『大田々根子命(オオタタネコノミコト)に大物主を祀る主(カムヌシ)として市磯長尾市(イチシノナガオチ)を倭大国魂神(ヤマトノオオクニタマノカミ)を祀る主(カムヌシ)すれば、必ず天下太平となる』と(夢の中の高貴な人は)言いました」
天皇は夢の辞(コトバ)を得て、ますます喜びました。
布(アマネ)く天下(アメノシタ)に命じて、大田々根子(オオタタネコ)を探すと、すぐに茅渟縣(チヌノアガタ)の陶邑(スエムラ=和泉国大鳥郡陶器荘…大阪府堺市陶器山の西)に大田々根子(オオタタネコ)を見つけました。天皇はすぐに自ら神淺茅原(カムアサジハラ)に出向いて、諸王卿(オオキミタチマツヘツキミタチ=王さま達)と八十諸部(ヤソモロトモノオ=沢山の「伴」の主張)が集まって、大田々根子(オオタタネコ)に尋ねました。
「お前は、誰の子か?」
大田々根子(オオタタネコ)は答えました。
「父は大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)といいます。
母は活玉依媛(イクタマヨリヒメ)といいます。
(活玉依媛は)陶津耳(スエツミミ)の娘です」
また言いました。
「(活玉依媛は)奇日方天日方武茅渟祇(クシヒカタアマツヒカタタケチヌツミ)の娘です」

崇神天皇(九)味酒三輪の殿の 朝門にも出でて行かな三輪の殿門を(日本書紀)
冬12月20日。天皇は大田々根子(オオタタネコ)に大神(オオミワノカミ)を祀らせました。この日、活日(イクヒ)が自ら神酒(ミワ)を捧げて、天皇に献上しました。それで歌を歌いました。
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