日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)

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日子国夫玖命

投稿日時:2017-05-02 12:50:38
漢字・読みヒコクニブクノミコト
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概要

日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)は古事記に登場する人物。
日本書紀では彦国葺(ヒコクニフク)と同一人物。
性別は分からない。
婚姻や子孫の記述はない。
古事記では「丸邇臣(ワニノオミ)の祖先」とあり、日本書紀にも「和珥臣の祖先」とあるので、日子国夫玖命は和珥氏の関係の人物か神だったと思われます。
●新撰姓氏録には観松彦香殖稲天皇(=孝昭天皇)の皇子の天帯彦国押人命の3世孫か4世孫と複数の記述があるが、古事記、日本書紀にはそういった記述はない。

活躍

最大にして唯一の活躍は、崇神天皇(10代)に反旗を翻した「建波邇安王(タケハニヤス王)」を討伐したこと。崇神天皇から勅命を受けたのはオオビコ(大毘古命・大彦)ですが、実際に建波邇安王を討ったのは日子国夫玖命。ここは古事記も日本書紀も同じです。

その後、日本書紀の垂仁天皇(11代)時代に「5人の大夫」として名を挙げられています。ここで挙げられている人物はかなり有力氏族です。
活躍の意味
本来は和珥臣が持っていた伝承ではないかと思います。矢を打ち合うのは、吉備津彦VS温羅のシーンと似ています。また討伐の舞台となった京都府精華町のいずもりでは建波邇安王の石碑が建てられ、建波邇安王に関わるお祭りがあります。どうも建波邇安王は嫌われておらず、地元には愛されている様子。これは温羅も同様で、どうもそもそもは農業とか収穫祭の神事だったものを大和朝廷に従属した時に、書き換わった…と考えるべきではないかと思います。
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名前から考える

ヒコは「日子」で太陽神の使者とか太陽神の子という意味です。
国は大地のこと。
では「フク」は何か。
日本書紀では葺と当てられています。葺は茅葺(カヤブキ)とか「屋根を葺く」と使うように、屋根をつける行為そのものです。ウガヤフキアエズもそうですね。
通して考えると、「大地」を覆う「天」を「葺く」という言葉で表したのではないかなと。
天神か地母神か、その両方を持った農業神ではないかなと。
おそらくこの地域の天神だったのでしょう。

古事記からの引用

伯父と叔父の戦い
すぐに丸邇臣(ワニノオミ)の祖先である日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)を副官に、オオビコ命は山代国へ派遣された。ヒコクニブク命は丸邇坂(ワニサカ)に忌瓮(イワイヘ=神聖な酒瓶)を奉納してから、出発しました。

まづ忌矢弾つべし
日子国夫玖命(ヒコクニブク命)はタケハニヤス王に言いました。
「まず、そちらから忌矢(イミヤ=神聖な矢)を撃ちなさい」
そこで建波邇安王(タケハニヤス王)が撃ちましたが、当たりませんでした。次に国夫玖命(クニブク命)が矢を撃つと、建波邇安王(タケハニヤス王)にあたり、死んでしまいました。
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日本書紀からの引用

崇神天皇(十四)武埴安彦と吾田媛を迎え撃つ(日本書紀)
また大彦(オオヒコ)と和珥臣の祖先の彦国葺(ヒコクニフク)を派遣して、山背(ヤマシロ)に向かわせ、埴安彦を討たせました。

崇神天皇(十五)埴安彦と彦国葺の戦争(日本書紀)
埴安彦(ハニヤスヒコ)が彦国葺(ヒコクニフク)の軍隊を見て言いました。
「どうして、お前は兵を起こして来るのか?」
彦国葺(ヒコクニフク)は答えました。
「お前は天に逆らい、道に背いている。王室(ミカド)を傾けようとしている。よって義兵(コトワリノイクサ=義勇兵)を挙げ、逆らうお前を討つ。天皇の命だ」
それから各軍は先手を取ろうと弓を射ました。
武埴安彦(タケハニヤスヒコ)がまず、彦国葺(ヒコクニフク)を射ましたが、当たりませんでした。次に彦国葺(ヒコクニフク)が埴安彦を射ると、胸に当たって殺してしまいました。

垂仁天皇(十四)先代の功績
即位25年。春2月8日。
阿部臣(アベノオミ)の遠祖の武渟川別(タケヌナカワワケ)・和珥臣(ワニノオミ)の遠祖の彦国葺(ヒコクニブク)・中臣連(ナカトミノムラジ)の遠祖の大鹿嶋(オオカシマ)・物部連(モノノベノムラジ)の遠祖の十千根(トオチネ)・大伴連(オオトモノムラジ)の遠祖の武日(タケヒ)と、5人の大夫(マヘツキミタチ)に天皇はいいました。
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