大中津日子命(オホナカツヒコ)

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大中津日子命

投稿日時:2017-05-07 12:13:39
漢字・読みオホナカツヒコ
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大中津日子命(オホナカツヒコ)

大中津日子命(オオナカツヒコ)は古事記に登場する人物名。
皇族。
出自
父親は垂仁天皇(11代)。
母親は古事記では氷羽州比売命(ヒバスヒメ)、日本書紀では日葉酢姫(ヒバスヒメ)。
同腹の兄に景行天皇(12代)がいる。
性別
名前から考えるとおそらく男性ではある。
ただし日本書紀に対応する人物は素直に考えれば「大中姫命(オオナカツヒメノミコト)」となり、性別が違う。
よって性別ははっきりしない。
これに関しては「彦」「日子」は本来は「太陽の子」「太陽の使者」という意味で、必ずしも男性を表す言葉ではないのかもしれない。卑弥呼も本来は「日御子」で、名前だけでは性別は判別できるものではない…のかもしれない。これを自然と考えると、他の「日子」に関しても、性別のはっきりしないものがたくさん出てくる。

配偶者・子供・子孫
子供や配偶者の記述はない。
古事記では山辺之別(ヤマノベノワケ)・三枝之別(サキクサノワケ)・稲木之別(イナキノワケ)・阿太之別(アダノワケ)・尾張国の三野別(ミノノワケ)・吉備の石无別(イワナシノワケ)・許呂母之別(コロモノワケ)・高巣鹿之別(タカスカノワケ)・飛鳥君(アスカノキミ)・牟礼之別(ムレノワケ)の祖先とされる。

日本書紀には子孫に関する記述はない。
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物語・由来

活躍
古事記には大中津日子命(オオナカツヒコ)の活動はない。
日本書紀では対応する大中姫命は同腹の兄の五十瓊敷命(イニシキノミコト)から神宝を祀る仕事を任されるが「手弱女人だから天神庫(アメノホクラ)に登れない」と断るが、五十瓊敷命から「ハシゴを作ってやるから」とお願いされ、大中姫命は物部十千根大連(モノノベノトオチネノオオムラジ)に神宝を授けて石上神宮の神宝を管理することになりました。石上神宮の神主の由来物語です。

名前について
大中津日子という名前の「大中」とはどういう意味なのかよく分からない。
ところで、大中姫という名前は、景行天皇(12代)の孫で仲哀天皇の妃となった「大中姫」にも見られ、特殊な名前ではなくザックリとした名前だったのではないかと。「大中」だけに絞ると、日本書紀では応神天皇の皇子に「額田大中彦皇子(ニカタノオオナカツヒコノミコ)」、允恭天皇の妃の「忍坂大中姫命(オシサカオオナカツヒメノミコト)」。古事記ではヤマトタケルの孫の須売伊呂大中日子王(スメイロオホナカツヒコ)もいます。
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出自

古事記によると
伊久米伊理毘古伊佐知命=垂仁天皇
氷羽州比売命(ヒバスヒメ)…旦波比古多々須美知宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ)の娘…別名が比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)
印色入日子命(イニシキノイリヒコ)
大帯日子淤斯呂和気命(オホタラシヒコオシロワケ)景行天皇
大中津日子命(オホナカツヒコ)…山辺之別(ヤマノベノワケ)・三枝之別(サキクサノワケ)・稲木之別(イナキノワケ)・阿太之別(アダノワケ)・尾張国の三野別(ミノノワケ)・吉備の石无別(イワナシノワケ)・許呂母之別(コロモノワケ)・高巣鹿之別(タカスカノワケ)・飛鳥君(アスカノキミ)・牟礼之別(ムレノワケ)の祖先。
倭比売命ヤマトヒメ…天照大神を伊勢に祀った
若木入日子命(ワカキイリヒコ)

日本書紀によると
活目入彦五十狹茅天皇=垂仁天皇
日葉酢媛(ヒバスヒメ)=皇后
五十瓊敷入彦命(イニシキイリビコノミコト)
大足彦尊(オオタラシヒコノミコト)…景行天皇
大中姫命(オオナカツヒメノミコト)
倭姫命(ヤマトヒメノミコト)
稚城瓊入彦命(ワカキニイリビコノミコト)
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引用

古事記からの引用
垂仁天皇の后妃と御子
また旦波比古多々須美知宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ)の女、氷羽州比売命(ヒバスヒメ)を娶って産んだ子供が、
印色入日子命(イニシキノイリヒコ)、
大帯日子淤斯呂和気命(オホタラシヒコオシロワケ=景行天皇)、
大中津日子命(オホナカツヒコ)、
倭比売命ヤマトヒメ)、
若木入日子命(ワカキイリヒコ)
の5柱です。

垂仁天皇の系譜
大中津日子命(オオナカツヒコ)は山辺之別(ヤマノベノワケ)・三枝之別(サキクサノワケ)・稲木之別(イナキノワケ)・阿太之別(アダノワケ)・尾張国の三野別(ミノノワケ)・吉備の石无別(イワナシノワケ)・許呂母之別(コロモノワケ)・高巣鹿之別(タカスカノワケ)・飛鳥君(アスカノキミ)・牟礼之別(ムレノワケ)たちの祖先です。


日本書紀からの引用
垂仁天皇(十一)五(イツトリ)の女
皇后の日葉酢姫(ヒバスヒメ)は三人の男の子と二人の女の子を生みました。第一子は五十瓊敷入彦命(イニシキイリビコノミコト)といいます。第二子は大足彦尊(オオタラシヒコノミコト)といいます。第三子は大中姫命(オオナカツヒメノミコト)といいます。第四子は倭姫命(ヤマトヒメノミコト)といいます。第五子は稚城瓊入彦命(ワカキニイリビコノミコト)といいます。

垂仁天皇(二十四)天神庫も樹梯のまにまに
即位87年春2月5日。
五十瓊敷命(イニシキノミコト)は妹の大中姫(オオナカツヒメ)に言いました。
「わたしは年老いた。
神宝を管理することはできない。
これより以降はお前が管理しなさい」
大中姫命(オオナカツヒメノミコト)は断りを言いました。
「わたしは手弱女人(タオヤメ=か弱い)です。どうして天神庫(アメノホクラ)に登れましょうか」
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