阿耶美能伊理毘売命(アザミノイリヒメ)

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阿耶美能伊理毘売命

投稿日時:2017-05-19 12:30:20
漢字・読みアザミノイリヒメ
別名薊瓊入媛(アザミニイリビメ)
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阿耶美能伊理毘売命(アザミノイリヒメ)

阿耶美能伊理毘売命(アザミノイリヒメ)は古事記に登場する人物。
女性。
垂仁天皇(11代)の妃。
日本書紀では薊瓊入媛(アザミニイリビメ)と表記される。

出自について
古事記には「沼羽田之入毘売命(ヌバタノイリビメ)の妹」とあるので、姉妹ではあるはずなのですが、古事記の沼羽田之入毘売命や比婆須比売命の出自のところには…
引用日子坐王の子孫
ヒコイマス王の第七子の美知能宇志王(ミチノウシノミコ)、丹波(タニハ)の河上(カハカミ)の麻須郎女(マスノイラツメ)を娶って産んだ子が、比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)、真砥野比売命(マトノヒメノミコト)、弟比売命(オトヒメノミコト)、朝廷別王(ミカドワケノミコ)。四柱。この朝廷別王は、三川(ミカハ)の穂別(ホノワケ)の祖先です。

というように「阿耶美能伊理毘売命」の名前がない(日本書紀には出自の詳細はない)。よって一般的には阿耶美能伊理毘売命の父親は姉たちと同じ「丹波比古多々須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ王)」で、母親は不詳となっている。
もしかすると、同腹で父親違いの兄弟姉妹という可能性もあるのではないかと思います。

名前について
よく分からない。日本書紀では植物の「薊」が当てられていることから関係があるのかもしれない。薊は薬草で食べる地域もある。またトゲがある植物は柊のように「魔除け」として見られることもある。ただ、娘「阿耶美都比売命(アザミツヒメ)」が日本書紀で「稚淺津姫命(ワカアサツヒメノミコト)」となっているところを考えると「アザミ」は湿地・遠浅の干潟のことを指していると考えた方が自然に思います。
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婚姻と子供

古事記によると
伊久米伊理毘古伊佐知命…垂仁天皇
阿耶美能伊理毘売命(アザミノイリヒメ)…沼羽田之入毘売命の妹
伊許婆夜和気命(イコバヤワケ)沙本(サホ)の穴太部之別(アナホベノワケ)の祖先。
阿耶美都比売命(アザミツヒメ)…稲瀬毘古王(イナセビコ)に嫁ぐ

日本書紀によると
活目入彦五十狹茅天皇
薊瓊入媛(アザミニイリビメ)…日葉酢媛の妹
池速別命(イケハヤワケノミコト)
稚淺津姫命(ワカアサツヒメノミコト)
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引用

古事記からの引用
垂仁天皇の后妃と御子2
垂仁天皇が、沼羽田之入毘売命(ヌバタノイリビメ)の妹の阿耶美能伊理毘売命(アザミノイリヒメ)を娶って産んだ子供が
伊許婆夜和気命(イコバヤワケ)
阿耶美都比売命(アザミツヒメ)
のニ柱です。

日本書紀からの引用
垂仁天皇(十一)五(イツトリ)の女
即位15年春2月10日。
丹波の五(イツトリ)の娘を呼び寄せて、掖庭(ウチツミヤ=皇后や皇子の世話をする宮女のいる場所)に入らせました。長女を日葉酢媛(ヒバスヒメ)、次女を渟葉田瓊入媛(ヌハタニイリビメ)、三女を眞砥野媛(マトノヒメ)、四女を薊瓊入媛(アザミニイリビメ)、五女を竹野媛(タケノヒメ)と言います。

次の妃の薊瓊入媛(アザミニイリビメ)は池速別命(イケハヤワケノミコト)と稚淺津姫命(ワカアサツヒメノミコト)を生みました。
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