山代の大国之淵(オオクニノフチ)

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山代の大国之淵

投稿日時:2017-06-03 14:28:09
漢字・読みオオクニノフチ
別名山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)
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概要

山代の大国之淵(オオクニノフチ)は古事記に登場する人物名。
日本書紀に同じ立場に山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)が見られる。
性別は不明。
娘の名前は古事記では苅羽田刀弁(カリハタトベ)と弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)。
日本書紀では綺戸邊(カニハタトベ)と。山背苅幡戸邊(ヤマシロノカリハタトベ)。
どちらも垂仁天皇(11代)の妃。
出自
親の名前は見られない。
「山代・山背」とあるので、山代国の人物(神)だろうと思われます。
子孫
古事記・日本書紀共に娘が二人いて、それぞれに子供がいます。
名前から考える
大国の淵ですから、自然を神格化した名前としか思えないです。人物名ではなく神の名前でしょう。子供の名前も同様に女神の名前ではないかと思います。もちろん、だからと言って実在の人物ではないよって意味ではありません。そういう神を信仰する集団のボスを象徴的に神の名で記せばそうなりますので。
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子孫のまとめ

古事記では
垂仁天皇
苅羽田刀弁(カリハタトベ)…山代の大国之淵(オオクニノフチ)の娘
落別王(オチワケ)…小月之山君・三河之衣君の祖先
五十日帯日子王(イカタラシヒコ)…春日山君・高志池君・春日部君の祖先
伊登志別王(イトシワケ)伊登志部を定める

日本書紀では
垂仁天皇
弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)…山代の大国之淵(オオクニノフチ)の娘
石衝別王(イハツクワケノミコ)
石衝毘売命(イハツクビメ)…別名が布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメ)


日本書紀では
垂仁天皇
綺戸邊(カニハタトベ)…山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)の娘
磐衝別命(イワツクワケノミコト…三尾君(ミオノキミ)の始祖
もう一人、古事記でヤマトタケルの妻となった両道入姫命(=古事記での石衝毘売命)の名前があるべきだが、日本書紀の垂仁天皇紀では見られない。ただし「仲哀天皇(一)立太子と出自」ではヤマトタケルの妃で「両道入姫命は垂仁天皇の娘」という記述がある。
垂仁天皇
山背苅幡戸邊(ヤマシロノカリハタトベ)…山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)の娘
祖別命(オオジワケノミコト
第二子を五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト…子石田君(?)の始祖
膽武別命(イタケルワケノミコト)
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引用

古事記からの引用
垂仁天皇の后妃と御子2
山代の大国之淵(オオクニノフチ)の娘の、苅羽田刀弁(カリハタトベ)を娶って産んだ子供が
落別王(オチワケ)
五十日帯日子王(イカタラシヒコ)
伊登志別王(イトシワケ)
また大国之淵(オオクニノフチ)の娘の弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)を娶って産んだ子供が
石衝別王(イハツクワケノミコ)
石衝毘売命(イハツクビメ)…別名が布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメ)です。
この二柱です。

日本書紀からの引用
垂仁天皇(二十一)山背の綺戸邊
即位34年春3月2日。
天皇は山背(ヤマシロ)に行きました。
そのとき、左右(モトコ=側の人)が言いました。
「この国に佳人(=カオヨキヒト=美人)がいます。
綺戸邊(カニハタトベ)といいます。
姿形(カオカタチ)は美麗。
山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)の娘です」

「この物から推し測るに、験(シルシ)なのでしょう」
そこで綺戸邊(カニハタトベ)を呼び寄せて、後宮(ウシロノミヤ)に入らせました。
磐衝別命(イワツクワケノミコト)を生みました。三尾君(ミオノキミ)の始祖です。
これより先に山背苅幡戸邊(ヤマシロノカリハタトベ)を娶りました。三人の男の子を生みました。第一子は祖別命(オオジワケノミコト)といいます。第二子を五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)といいます。第三子を膽武別命(イタケルワケノミコト)といいます。五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)は子石田君(?)の始祖です。
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