石衝別王(イハツクワケノミコ)

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石衝別王

投稿日時:2017-06-09 18:19:18
漢字・読みイハツクワケノミコ
別名磐衝別命(イワツクワケノミコト)
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概要

石衝別王(イハツクワケノミコ)は古事記に登場する人物名。
皇族。
性別ははっきりしないが男性だと思われる。
垂仁天皇(11代)の子供。
母親は古事記では弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)。日本書紀では綺戸邊(カニハタトベ)。
記述
古事記では石衝別王(イハツクワケノミコ)。
日本書紀では磐衝別命(イワツクワケノミコト)。
配偶者と子と子孫
配偶者と子供の記述はない。
子孫の記述はある。
古事記によれば羽咋君・三尾君の祖先。
日本書紀によれば三尾君の始祖。
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物語・由来

三尾君は継体天皇の妃の「三尾君堅楲(ミオノキミカタヒ)の娘の倭媛(ヤマトヒメ)」「三尾角折君(ミオツノオリノキミ)の妹の稚子媛(ワカコヒメ)」の先祖にあたり、ハッキリとは書いてないんですが石衝別王は彼女たちの先祖だと考えて差し支えないでしょう。継体天皇の即位に石衝別王の血統が影響しているのかもしれないです。
名前から考える
名前から考えると「石衝毘売命(イハツクビメ)」と対。
名前を素直に読めば「岩の中心」。磐座信仰の神ではないかと思います。日本の神には「イワ」とついた名前が多いです。アメノイワトワケ(天石戸別神・櫛石窓神・豊石窓神)・イワヅチヒコ(磐土命)・タケイワタツ(建磐龍神)・イワナガヒメ(石長比売)・アメノイワクスフネ(天磐櫲樟船)・イワサク(石拆神・磐裂神)・イワツツノオ(石筒之男神・磐筒男神)・イワオシワクノコ(石押分之子)など。
同腹妹になる「石衝毘売命(イハツクビメ)」と合わせて、一つの神話をなしていたのではないか?というのが私個人の意見です。
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出自と子孫

古事記
伊久米伊理毘古伊佐知命…垂仁天皇
弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)…大国之淵(オオクニノフチ)の娘
石衝別王(イハツクワケノミコ)…羽咋君・三尾君の祖先
石衝毘売命(イハツクビメ)…別名が布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメ)で倭建命ヤマトタケル)の妻。

日本書紀
活目入彦五十狹茅天皇…垂仁天皇
綺戸邊(カニハタトベ)…山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)の娘
磐衝別命(イワツクワケノミコト…三尾君(ミオノキミ)の始祖
もう一人、古事記でヤマトタケルの妻となった両道入姫命(=古事記での石衝毘売命)の名前があるべきだが、日本書紀の垂仁天皇紀では見られない。ただし「仲哀天皇(一)立太子と出自」ではヤマトタケルの妃で「両道入姫命は垂仁天皇の娘」という記述がある。
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引用

古事記からの引用
垂仁天皇の后妃と御子2
また大国之淵(オオクニノフチ)の娘の弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)を娶って産んだ子供が
石衝別王(イハツクワケノミコ)
石衝毘売命(イハツクビメ)…別名が布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメ)です。
この二柱です。

日本書紀からの引用
垂仁天皇(二十一)山背の綺戸邊
即位34年春3月2日。
天皇は山背(ヤマシロ)に行きました。
そのとき、左右(モトコ=側の人)が言いました。
「この国に佳人(=カオヨキヒト=美人)がいます。
綺戸邊(カニハタトベ)といいます。
姿形(カオカタチ)は美麗。
山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)の娘です」

「この物から推し測るに、験(シルシ)なのでしょう」
そこで綺戸邊(カニハタトベ)を呼び寄せて、後宮(ウシロノミヤ)に入らせました。
磐衝別命(イワツクワケノミコト)を生みました。三尾君(ミオノキミ)の始祖です。
これより先に山背苅幡戸邊(ヤマシロノカリハタトベ)を娶りました。三人の男の子を生みました。第一子は祖別命(オオジワケノミコト)といいます。第二子を五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)といいます。第三子を膽武別命(イタケルワケノミコト)といいます。五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)は子石田君(?)の始祖です。
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