狭山池(サヤマノイケ)

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狭山池

投稿日時:2017-06-19 11:13:30
漢字・読みサヤマノイケ
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狭山池(サヤマノイケ)

狭山池(サヤマノイケ)は古事記に登場する池の名前。
古事記によれば垂仁天皇(11代)の時代に垂仁天皇の子供の印色入日子命(イニシキノイリヒコ)が作った。
日本書紀には「狭山池」という記述はないが、崇神天皇(10代)の時代に、「狭山に池溝を作るべき」と書いてある。ただし日本書紀には崇神天皇の時代には「狭山池」という記述はない。
比定地
大阪狭山市だとされます。

引用

古事記からの引用
垂仁天皇の治世
イニシキノイリヒコ命は灌漑用に血沼池と狭山池と日下の高津池を作りました。また鳥取の河上宮で、刀千本をつくり、石上神宮に奉納しました。

日本書紀からの引用
崇神天皇(二十四)依網池・苅坂池・反折池を造る(日本書紀)
崇神天皇即位62年秋7月2日に詔を発しました。
「農業は天下の大きな本(モト)です。民の力を頼りにしているものだ。今の河内の狭山(サヤマ=大阪府南河内郡狭山町)の埴田(ハニタ=粘土質の田)には水が少ない。その国の百姓は農業が出来ない。そこで沢山の池溝(ウナネ=ウナデ=農業用水路)を掘って、民の業(ナリワイ)を広めよう」

垂仁天皇(二十二)高石池・茅渟池・狹城池・迹見池を作る
即位35年秋9月。
五十瓊敷命(イニシキノミコト)を河内国に派遣して高石池(タカシノイケ)と茅渟池(チヌノイケ)を作らせました。冬10月に倭(ヤマト)の狹城池(サキノイケ)と迹見池(トミノイケ)を作りました。その年、諸国に命じてたくさんの池溝(ウナデ=水路)を掘らせました。数800余り。農(ナリワイ)を事業としました。これで百姓に富みが広がり、天下泰平となりました
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