軽池(カルノイケ)

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軽池

投稿日時:2017-07-01 16:08:32
漢字・読みカルノイケ
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軽池

軽池は古事記や日本書紀に登場する池の名前。
古事記でも日本書紀でも「軽池」
比定地
奈良県橿原市。

物語・由来

記述の違い
古事記では垂仁天皇(11代)の時代に垂仁天皇(11代)と沙本毘売(サホビメ)の子供の品牟都和気命(ホムツワケ)が軽池に小舟を浮かべて遊んでいたと記述がある。つまり、古事記では垂仁天皇の時代には軽池があったということになる。

ところが日本書紀では応神天皇(15代)の時に「軽池を作った」とある。日本書紀では軽池だけでなく他の池も作っています。日本書紀と古事記の間に食い違いはいくらでもあります。だから、気にはなっても問題ではないのかもしれない。
この違いの理由は?
ただ、古事記の垂仁天皇記での軽池と、日本書紀の応神天皇時代の軽池はニュアンスが違うのかもしれない。前者は宗教的で、後者は灌漑用のため池、とか。
ところで、似たような立場の池に「剣池」がある。剣池も、古事記では孝元天皇で、日本書紀では開化天皇のところで一旦は名前が登場しているのに、古事記でも日本書紀でも応神天皇の時代に「剣池を作った」と書かれています。

個人的な見解ですが……作らなくても最初から地形上「あった」か、もしくは古い技術で機能性の低い状態で「作られた」ものと、それに後の時代に新しい技術を用いて水路をつけて灌漑用に整備したのとで、認識が違うんじゃないか?と。例えば、長崎オランダ村とハウステンボスみたいな関係なのかなと思います。同じ場所のほぼ同じ施設だけど、世間の認識では多少違いがある。古事記では長崎オランダ村の時代からの認識だけど、日本書紀ではオランダ村は存在として認めていない。ハウステンボスからはアミューズメントパークとして認めているけども…みたいな。
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引用

古事記からの引用
ホムチワケ御子は言葉を発さなかった
ホムチワケ御子は、尾張の相津の二股に分かれた杉で作った二股の小船を大和の市師池(イチシノイケ)や軽池(カルノイケ)に浮かべて、遊んでいました。


日本書紀からの引用
応神天皇(七)日向国の嬢子の髪長媛
即位11年冬10月。
剣池(ツルギノイケ)・軽池(カルノイケ)・鹿垣池(カノカキノイケ)・厩坂池(ウマヤサカノイケ)を作りました。
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