品遅部(ホムジベ)

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品遅部

投稿日時:2017-07-03 22:41:40
漢字・読みホムジベ
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品遅部(ホムジベ)

品遅部は垂仁天皇の皇子の品牟都和気命(ホムツワケ)の部民。
子代・名代というのがありまして、子孫がいない場合に、子供の代わりに当人を祀る人間を残すようにしていた、とされます。崇神天皇の時代の、大物主の祟りのくだりで、神(先祖)を祀るのは「その神(先祖)の子孫」ということになったようです。となると子孫がいないと、誰も祀ることができない。誰も祀らないとなると、大物主のように祟ることになります。だから、子代・名代の部民を設定したのだろうと思います。
ただし、現在では子代の意味は皇族の「私有民」だろうというのが定説になっています。
個人的には、最初は前者の意味だったが、徐々に実質、「私有民」となった…ってことだろうと思っています。
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品遅部とは

品遅部はネーミングとしては「品牟都和気命(ホムツワケ)の部民」であり、古事記には
鳥取部(トトリベ)・鳥甘部(トリカヒベ)・品遅部(ホムヂベ)・大湯坐(オホユエ)・若湯坐(ワカユエ)を定めた。

とあります。このうち、大湯坐(オホユエ)・若湯坐(ワカユエ)は皇子の身の回りの世話をする人物として、品牟都和気命の母(サホビメ)が死ぬ前に垂仁天皇に遺言した役職です。鳥取部(トトリベ)・鳥甘部(トリカヒベ)は「口がきけなかった」品牟都和気命が白鳥によって回復した伝承に基づくものです。全て宗教的なものだと思われます。
ところで、曙立王(アケタツノミコ)は「伊勢の品遅部君(ホムヂベノキミ)・伊勢の佐那造(サナノミヤツコ)の祖先」とあります。「伊勢の品遅部君」ってどういう意味なんでしょうか。「ホムジベ」というのは、やはり子代というか品牟都和気命という神を祀る氏族であり、この氏族に付いたのが曙立王だったという意味でしょう。いや、そもそも曙立王が祀っていた神が「品牟都和気命」だったのかも。
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皇統とは別の神話

ところで、曙立王の親は大俣王(オオマタ王)。大俣王の父は日子坐王(ヒコイマスミコ)。一方で品牟都和気命の母親が沙本毘売命(サホビメ)。沙本毘売命の父が日子坐王(ヒコイマスミコ)なんです。つまり曙立王と品牟都和気命は日子坐王からどちらも見れば「孫」です。

実は関係者が全て日子坐王の子孫で血縁者なのです。見方を変えると、この辺りは垂仁天皇の物語ではなく、垂仁天皇はむしろ、この一家の物語に割り込んだ脇役という捉え方もできるのです。個人的な見解ですが、アマテラスを頂点する皇統の神話とは別に、日子坐王を中心とした太陽神の神話があったのではないかなと。日子坐王の神話の最後の物語が品牟都和気命であり、彼を祀った氏族が存在した。それが曙立王(の子孫)。品牟都和気命は皇統で言う所の「アマテラスニニギ」のニニギに当たる神話だった。そういえばニニギにはニギハヤヒアメノホアカリという太陽神の性質を持つ兄弟がおり、神話に絡んでいます。それがこのこの物語で言うところの曙立王に当たる存在だったのではないかと思います。曙立王と言う名前も「太陽神」臭いですね。

ちなみに品牟都和気命(ホムツワケ)は炎の中から生まれた皇子で、「炎(ホムラ)」が名前の由来となっています。これはニニギの子供の山佐知毘古・海佐知毘古の物語に似ています。
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古事記からの引用

日子坐王の子孫
ヒコイマス王(=開化天皇の子供)の第一子の大俣王(オオマタノミコ)の子供は、曙立王(アケタツノミコ)と菟上王(ウナカミノミコ)のニ柱です。
曙立王は伊勢の品遅部君(ホムヂベノキミ)・伊勢の佐那造(サナノミヤツコ)の祖先です。
菟上王菟上王(ウナカミノミコ)は、比売陀君(ヒメダノキミ)の祖先です。

アケタツ王とウナカミ王
一行は土地土地に品遅部を置きました。

ヒナガヒメとホムチワケ御子
垂仁天皇は喜び、すぐにウナカミ王を出雲に向かわせて、神宮を作りました。また垂仁天皇はホムチワケ御子にちなんで、鳥取部(トトリベ)・鳥甘部(トリカヒベ)・品遅部(ホムヂベ)・大湯坐(オホユエ)・若湯坐(ワカユエ)を定めました。
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