弟比売命(オトヒメ)

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弟比売命

投稿日時:2017-07-07 11:41:40
漢字・読みオトヒメ
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弟比売命(オトヒメ)

弟比売命(オトヒメ)は古事記で登場する人物。
弟比売命の「弟」は「妹」のこと。年下の人のこと。なので、オトヒメはざっくりとした「妹ちゃん」みたいな意味で、特定の人物を表しているとは限らない。ここでは古事記に登場する「弟比売命」についてまとめています。日本書紀では「弟媛」「弟姫」と表記されます。

古事記に登場する弟比売命

垂仁天皇の妃の「弟比売命」
古事記では開化天皇(9代)の皇子の日子坐王(ヒコイマス)の子供の美知能宇志王が丹波河上麻須郎女を娶って産んだ子供の一人が「弟比売命」。その後、サホビメの推薦で、垂仁天皇(11代)の妃になります。他の姉妹がブサイクを理由に追い返されていることを考えるとおそらく美人。
景行天皇の娘の「弟比売命」
景行天皇と名前のない妃との間に生まれた子供に「弟比売命」が見られます。
大碓命景行天皇から奪った「弟比売命」
ヤマトタケルの双子の兄の大碓命が景行天皇が目をつけた姉妹を横取りして妻に娶ります。その妹が「弟比売命」と表記されます。
ヤマトタケルのひ孫の「弟比売命」
ヤマトタケルの大量の子供達の子孫として「弟比売命」が見られます。
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古事記からの引用

日子坐王の子孫
ヒコイマス王の第七子の美知能宇志王(ミチノウシノミコ)、丹波(タニハ)の河上(カハカミ)の麻須郎女(マスノイラツメ)を娶って産んだ子が、比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)、真砥野比売命(マトノヒメノミコト)、弟比売命(オトヒメノミコト)、朝廷別王(ミカドワケノミコ)。四柱。この朝廷別王は、三川(ミカハ)の穂別(ホノワケ)の祖先です。

ヒバスヒメとオトヒメとウタゴリヒメとマトノヒメ
サホビメが言うとおりに垂仁天皇は美知能宇斯王(ミチノウシノミコ)の娘の、
比婆須比売命(ヒバスヒメ)
弟比売命(オトヒメ)
歌凝比売命(ウタゴリヒメ)
円野比売命(マトノヒメ)
全部で4柱を妻として迎えました。

ところが比婆須比売命(ヒバスヒメ)・弟比売命(オトヒメ)だけを残して、あとのニ柱の妹(=ウタゴリヒメとマトノヒメ)たちは、容姿が悪かったので、故郷に送り返してしまいました。

景行天皇の皇后と皇子
また別の妻の生んだ子供は、
沼名木郎女(ヌナキノイラツメ)
香余理比売命(カゴヨリヒメ)
若木之入日子王(ワカキノイリヒコ)
吉備之兄日子王(キビノエヒコ)
高木比売命(タカキヒメ)
弟比売命(オトヒメ)

大碓命
景行天皇は美濃国造の祖先である大根王(オオネノミコ)の娘で、兄比売(エヒメ)・弟比売(オトヒメ)という少女が美しいと聞いて、息子の大碓命(オオウス)を派遣して、少女らを呼び寄せようとしました。

オオウス命の系譜
大碓命が弟比売(オトヒメ)を娶って生んだ子が押黒弟日子王(オシグロノオトヒコ)です。

息長田別王の子孫
この杙俣長日子王の子供が、飯野真黒比売命(イイノマグロヒメ)、次に息長真若中比売(オキナガマワカナカツヒメ)、次に弟比売(オトヒメ)の三柱です。
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