若建吉備津日子

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若建吉備津日子

投稿日時:2017-08-03 21:22:05
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若建吉備津日子

若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ)は古事記に登場する人物名。
古事記では別名で若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケキビツヒコミコト)とも書かれる。
日本書紀では稚武彦命(ワカタケヒコノミコト)と表記される。
このページでは若建吉備津日子と表記される部分についての記述をまとめています。出自などの詳細は若日子建吉備津日子命を参考に。
若日子建吉備津日子命のまとめ
若日子建吉備津日子命孝霊天皇(7代)の皇子。
●古事記では、異腹の兄の大吉備津日子命(オオキビツヒコミコト比古伊佐勢理毘古命桃太郎の元ネタ)と吉備を平定している。
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子と子孫

若建吉備津日子
配偶者記述なし
針間之伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)

景行天皇
針間之伊那毘大郎女
櫛角別王(クシツヌワケ)…茨田下連(マムタノシモノムラジ)の祖先
大碓命オオウス…守君(モリノキミ)・大田君(オホタノキミ)・島田君(シマダノキミ)の祖先
小碓命(オウス…別名が倭男具那命(ヤマトオグナ)
倭根子命(ヤマトネコ)
神櫛王(カムクシ)…木国(キノクニ)の酒部阿比古(サカベノアヒコ)・宇陀の酒部の祖先

古事記では吉備の下道臣(シモツミチノオミ)・笠臣(カサノオミ)。
日本書紀では吉備臣(キビノオミ)の先祖。
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その他

針間之伊那毘大郎女
日本書紀には針間之伊那毘大郎女に対応する名前として「播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオオイラツメ) 」が見られますが、出自は書かれていない。古事記では父親の若建吉備津日子(=日本書紀では稚武彦命)は皇子なのだから書かれていても不思議じゃないのですが。

名前で考える
孝霊天皇の皇子ではあるものの、実際は吉備地方の人物で、大和朝廷に参加する際にヤマトの神話に組み込まれた結果が、コレなんじゃないかなと。娘の針間之伊那毘大郎女の名前はどー考えても、「播磨」の「稲」の「日」の「女」で穀物神を表している。彼女が景行天皇と結ばれてオウス(=ヤマトタケル)が生まれたということは、ヤマトタケルが死後に白鳥(=穀物霊)となって飛び去ったことと無関係ではないでしょう。吉備と播磨は大和朝廷に強い影響力を持っていたのだと思います。
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古事記からの引用

景行天皇の皇后と皇子
景行天皇は吉備臣たちの祖先にあたる若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ)の娘の針間之伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)を娶って産んだ子供が
櫛角別王(クシツヌワケ)
大碓命オオウス
小碓命(オウス)…別名が倭男具那命(ヤマトオグナ)
倭根子命(ヤマトネコ)
神櫛王(カムクシ)
の五柱です。
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