神田明神

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神田明神

漢字・読みカンダミョウジン
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概要


住所
東京都千代田区
祭神
オオナムチ命(大己貴命)
スクナヒコナ命(少彦名命)
平将門命

一宮にオオナムチ命(大黒様)、二之宮にスクナヒコナ命(エビス様)、三宮に平将門が祭ってあります。しかし神田神社はあくまで平将門の神社です。なんて書くと怒られそうです。神田神社が出来たのは730年。平将門が生まれる前、ここに出雲系豪族でオオクニヌシ命(オオモノヌシ命・オオナムチ命)の子孫である真神田臣がオオナムチ命を祀ったことが始まりとされています。しかし、平将門の死後、京都で晒し首になっていた首が飛んで関東にやってきて、首塚となりました。14世紀になるとこの首塚あたりで天変地異が起こります。民衆の動揺を鎮めるために当時の鎌倉幕府摂関・北条時宗が平将門を神として合祀しました。これ以降、東国の武士の神として崇敬を集めることになります。
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物語・由来


神田の由来について
神田周辺が伊勢神宮に治める稲を育てる場所――御田(オンダ?)から神田に転化したという説もありますが、その一方で神田の語源は「平将門のカラダ」⇒カンダという説もあります。将門は京都から首が飛んできました。東国では首・体・手足・鎧・首が入っていた桶などなどと身体をバラバラにして祀った神社が幾つもあります。どうやら英雄の遺体をバラバラにして祀る風習があったようです。
将門は朝敵
将門は桓武天皇の5代子孫ですが、京都朝廷に刃向った敵でもあります。今となっては将門が反乱を起こした理由はハッキリとはしていませんが、当時の国司といった地方官吏が東国で酷い搾取をしたことが理由ではないかとも言われ、声を上げられぬ民の為に立ちあがった悲劇のヒーローというイメージがあります。
徳川幕府は江戸城の鬼門にこの神田神社を置くことで、天皇に反旗を翻し、新たな天皇となろうとしたヒーローと江戸幕府を重ねようとしたと考えられています。
そのせいか、明治になり明治天皇が神田神社を参拝する際に、朝敵・平将門が合祀されていることが問題になり、一度神田神社の祭神から外されて境内の摂社に移されています。
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平将門とは何か?

平将門は桓武天皇の子孫にあたる氏族。源氏だの平家だのというものが、天皇の子供のうちの余った人が、苗字を貰って「人間」になったものです。その苗字が源氏と平家というわけです。
乱を起こした理由は不明
その子孫の将門が朱雀天皇のときに反乱を起こしました。それが将門の乱。ところが「何故、将門が乱を起こしたのか?」についてはよく分かっていない。定説はあるものもどれもハッキリとしたものではない。

関東の天皇として「新皇」を名乗るもののすぐに鎮圧される。
将門の評価
怨霊としてよく取り上げられるのですが、当時東国は朝廷から圧迫され、税をとられ苦しんでいました。その代弁者だった、というイメージが強い。神田明神は江戸の顔であり、信仰は非常に厚い。
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