盾を取り出して戦いました

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盾を取り出して戦いました

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現代語訳

那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)が戦いを挑んできたので、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ命)と五瀬命(イツセ命)は船から「盾」を取り出して船から下りて戦いました。その土地を名付けて盾津(=タテツ)といいます。現在は日下の蓼津(タデツ)といいます。
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性格・能力

海戦か陸戦か
「下り立ち」と書いてあるので、兄弟神は「陸」で戦ったよう。これまでの神話を見ると、日本が海に囲まれているためか、海を舞台にしている話がとても多かったです。山幸彦のところではほとんど海でのお話でしたが。

日本の源流はどうやら東南アジア・中国南部から沖縄を経由してやってきた海洋民族のようです。古代の日本は稲作を主とした農耕民族だとばかり思いがちですが、船を利用した海運貿易がかなり盛んだったといわれています。だからこの頃の神武天皇一行は海戦を得意としていたはず――とすると、この後の対ナガスネヒコの敗戦が理解しやすいです。
日下の盾津(タテツ=蓼津
この盾津は前ページの「登美」と同じく奈良市富雄町のこととされます。

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個人的コラム

盾の意味
盾を持ち出し、戦った?なんてあるんですが、盾では勝てませんよね。盾は防御一辺倒。勝つには弓矢か剣がないと。そしてナガスネヒコに一方的にコテンパンにされます。これ、本当に「戦争」だったんでしょうか。

日本の古代では盾はどうやら宗教的な存在だったようです。宗教的な盾を作る「盾部(タテヌイベ)」という部民がいたことが分かっています。それがどういうものなのかは分かっていないんですが、このシーンで神武天皇が使用したのが戦争のためのものではなく宗教的な「盾」だった可能性はある、というか、その可能性は高い。

私としては、当時のこの土地に、太陽に向かって盾を掲げる儀式があったのではないかと思います。盾は敵意ではなく敬意を表すものだったのでしょう。太陽を敬う意味が「盾」にあった。神武天皇一行はそれをしたが、拒絶されたか失敗した。
それが後のイツセ
「わたしは日の神の皇子なのに
日に向かって戦ってしまった。
これは良くなかった。」
のセリフにつながるのでしょう。
神武天皇の兄弟はアマテラスの子孫であり、太陽そのものです。太陽を祀るのではなく、祀られる側であるべきである!というのが真意でしょう。

原文

ここに御船に入れたる楯を取りて下り立ちたまひき。故、其地を号けて楯津といひき。今に日下の蓼津と云ふ。
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