紀伊国の男乃水門で死亡

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紀伊国の男乃水門で死亡

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現代語訳

その地(地沼海)から更に回って、紀伊国の男乃水門(オノミナト)に着いて言いました。

「卑しい奴によって、手に傷を負って、死ねるか!」
と雄雄しく振舞いましたが、
死んでしまいました。

その水門(ミナト=港)を名づけて男乃水門(オノミナト)というようになりました。イツセ命の墓は紀伊の国の竈山(カマヤマ)にあります。
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解説

竈山神社
和歌山県にはこのイツセ命の墓があるとされる「竈山神社」があります。「紀伊続風土記」によると、イツセ命の墓が出来てすぐに神社が建てられた、としていますが、この紀伊続風土記は江戸時代の1806年に編纂されたもので、――記自体は秀逸ですがこの件に関しては――当てにはなりません。
紀国
現在は「紀伊の国」とか本屋の「紀伊国屋」という風に「紀伊」と書きますが、これは元明天皇のときに「地名は二文字にしろ!だってかっこいいから」と、地名を二文字にするように朝廷からお達しがあったからなのです。
ここで「紀国」という一文字地名の記述があるということは、この物語自体成立が元明天皇以前のことだ、という解釈も出来ます。元明天皇は古事記編纂に関わった女性天皇で、彼女が「二文字かっこいい」としたのに、無視して「紀国」と記したわけです。これはどういうことでしょう??
古事記や日本書紀が「オリジナル」を重視し、できるだけ加工しないようにしたのかもしれません。また、「ネタ本」があるという証拠なのかもしれません。
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原文

其地より廻り幸でまして、紀国の男之水門に到りて詔りたまはく、「賎しき奴が手を負ひてや死なむ」と男建びして崩りましき。故、その水門を号けて男の水門と謂ふ。陵は紀国の竈山にあり。
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