神武東征

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神武東征

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概要

神武天皇が日向(ヒムカ)を出発し、畿内のヤマトで天皇に即位するまでの物語を神武東征とします。
史実か否か?
現在の定説は「史実ではない」というものです。
まず、第一に古事記編纂の直前まで日向(熊襲)はヤマト朝廷に属していませんでした。つまりヤマト朝廷にとって日向は「敵地」であって、神武天皇が生まれた地としてはおかしい、というもの。ではなぜ、日向が神武天皇が生まれた土地として選ばれたのか?というと、「太陽神の子孫」の天皇は太陽に向かって移動する必要があること、もう一つは、日本には海の向こうから神がやってくるという感覚があり畿内から見て海の向こうが日向にあたること、この二つから「現実に都」がある「ヤマト」に東征する物語が作られたのではないか?とされます。
日向や熊襲や隼人は確かに「敵」でしたが、異文化の異民族というほどの違いがあったのかは分かりません。

魏志倭人伝には北九州にヤマトと同じ地名が散見されることから、邪馬台国などの北九州のグループが実際に東征したのが神武東征に反映されたという説もあります。

どの程度のことを持って東征というのかはわかりませんが、古代において九州は文化の流入する「発達した地域」でした。それに比べればヤマトは田舎だったハズです。その地域が後々にしても、日本を掌握するには、九州から技術者か権力者か…ともかく人的移動はあったと考えないと辻褄が合わない。地名の類似は東征かどうかはともかくとしても人的移動の証拠ではないかと。

また日向が天皇が生まれた土地としておかしいのに、日向としているということは、揺るがない「事実」だから…事実ではないにしても「当時、本当に口伝で伝わっていた神話」と考えたほうが自然なんじゃないか?と思います。
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