入船山記念館

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入船山記念館

漢字・読みイリフネヤマキネンカン
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概要

住所
〒737-0028
広島県呉市幸町4-6
℡0823-21-1037
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物語・由来

古代から明治
703年に呉浦の総氏神(ソウウジガミ)である亀山神社があった場所。江戸時代に広島藩によって編纂された「芸藩通志(ゲイハンツウシ)」には「八幡宮、宮原村亀山にあり、山、初めは入船山と称す」と書かれています。
明治
明治に入って海軍は呉を測量しました。呉は三方を山に囲まれた軍港として優れていると判断され、入船山(つまり亀山神社)は海軍に徴収され、亀山神社は現在の位置へと移設しました。
当時は洋風木造二階建ての軍政会議所兼水交社でした。水交社は海軍が運営する旅館・喫茶店の団体です。明治23年に明治天皇を迎えて開庁式が行われ、明治25年(1892年)には呉鎮守府司令長官官舎として利用されるようになりました。
地震による倒壊
日露戦争直後明治38年(1905年)6月2日午後2時39分に発生した芸予地震によって倒壊。立て替えられたのが現在の官舎です。立替の設計はイギリスで建築学を学んだ桜井小太郎(1870-1953)。この官舎はイギリス様式です。
終戦
昭和20年に敗戦。呉はオーストラリア軍を中心とした軍に占領され、官舎は占領軍総司令官官舎として利用されました。昭和27年(1952)に対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)が発行、昭和31年(1956年)に入船山はへんかんされました。
ところが呉鎮守府司令長官官舎は当時、内外ともに白いペンキで塗られ、床板はリノリウムが張られ、それ以前のものとも、現在のものとも全く違う状態でした。
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神社や関連する土地

個人的コラム

官舎のつくりは占領時にかなり変わっていたらしいですが、現在では資料を基に復元。かなり雰囲気のある内装になっています。

その雰囲気作りに一役買っているのが「金唐紙」。

この金唐紙は調べてみると、ヨーロッパで使われていた金を施した派手な「皮」を和紙で再現したもので、輸出もしていたよう。海外の文化を日本の技術でさらに発展させて、しかも輸出までするなんて、なんて日本らしい。
参考:http://www5b.biglobe.ne.jp/~kinkara/index.html/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%94%90%E9%9D%A9%E7%B4%99

公園内にはこの金唐紙を作る体験会が開かれています。でも体験会の場所は官舎の手前にあって、「金唐紙」がなんなのか、分からない状態で薦められてもピンと来ないのが惜しい。

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