邇保姫神社

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邇保姫神社

漢字・読みニホヒメジンジャ
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概要

住所
広島県広島市南区西本浦町12-13
祭神
爾保都比売神(ニホツヒメカミ)
タラシナカツヒコ神(帯中津日子神=仲哀天皇
オキナガタラシヒメ神(息長帯日売神=神宮皇后)
ホンダワケ神(品陀和氣神=応神天皇
配祀末社
氏室社;オオナムチ神(大穴牟遅神)
稲生社:ウカミタマ神(宇迦御魂神)
曽我社:スサノオ命(須佐之男命)
大歳社:コトシロヌシ神(事代主神) オオトシ神(大年神)
摂社
渕崎 竃神社
日宇那 新宮神社
円那 穴神社
大河 真幡神社
十軒屋 稲生神社
似島 竃神社
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物語・由来

爾保都比売(ニホツヒメ)は丹生都比売(ニフツヒメ)と同神と見られます。ちなみに丹生都比売神社は和歌山県伊都郡にあります。丹生都比売は「朱砂」という顔料になる鉱石を掘る一族が祭っていた女神。赤いこの顔料は古代では重要なモノだったはず。丹生都比売はワカヒルメと同一神という説も。

歴史背景

社伝によると、神宮皇后が三韓征伐の帰りに、この付近で一泊し霊験を賜った爾保都比売神を御鎮祭し、祈りをささげた。これが390年頃としています。
一泊した翌日に邪気払いのために白羽の矢を放つとその矢が刺さった場所が現在地。当時の仁保島(現在の黄金山)を守護する神社となりました。
885年
豊前国宇佐八幡宮を勧請。このときに仲哀天皇・神宮皇后・応神天皇が合祀されました。
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個人的コラム

あまりに綺麗に整備された神社で、アミューズメントのようでもあるのですが、そこは神主の経営手腕の結果であって、そもそもは結構な古社、っぽい。
駐車場を上り、車を止めると、神社の西側にはちょっとした「杜」がある。でも、やっぱ整備されすぎじゃないかと。

ところで爾保都比売ってなんでしょ?
単純に朱砂が取れた、もしくはそれを採っていた氏族がいた。その氏族が丹生都比売神社から勧請してきたか。

八幡宮となったのは割りと早い9世紀。源氏が崇敬した結果ではないのですね。爾保都比売がそもそも祭られていて、神宮皇后が一泊した話は、後からつけられたと考えたほうがシックリしますが、あくまで推測です。

ニホツヒメの「ツ」は港を表す「津」だったのでしょう。
廣島の神社に何件か行ったのですが、ほとんどが、おそらく古代では「港」もしくは「島」「半島」かそういう場所にあった神社のようです。(亀山神社多家神社(埃宮)白神社・など)

神社の南にある黄金山はかつて島で、爾保都比売神社がある場所も半島か岬か、もしくは島だったと思います。実際この二つだけが隆起している地形ですから。

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