神武天皇とイスケヨリヒメの子孫

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神武天皇とイスケヨリヒメの子孫

漢字・読みジンムテンノウトイスケヨリヒメノシソン
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現代文訳

神八井耳命(カムヤイミミノミコト)は弟の建沼河耳命(タケヌナカハミミノミコト綏靖天皇)に皇位を譲って言いました。

「わたしは仇(=タギシミミのこと)を殺すことが出来ませんでした。あなたは仇を殺すことが出来ました。わたしは兄ではあるが、天皇になるべきではない。あなたが天皇となって天下を治めなさい。私はあなたを助けて、『忌み人』となって、使えましょう」

と言いました。
日子八井命(ヒコヤイ命)は茨田連(マムタノムラジ)・手島連(テシマノムラジ)の祖先です。

神八井耳命(カムヤイミミ命)は意富臣(オオノオミ)・小子部連(チイサコベノムラジ)・坂合部連(サカイベノムラジ)・火君(ヒノキミ)・大分君(オオキタノキミ)・阿蘇君(アソノキミ)・筑紫の三家連(ミヤケノムラジ)・雀部臣(サザキベノオミ)・雀部造(サザキベノミヤツコ)・小長谷造(オハツセノミヤツコ)・都祁直(ツケノアタヒ)・伊余国造(イヨノクニノミヤツコ)・科野国造(シナノノクニノミヤツコ)・道(ミチノク)の石城国造(イワキノクニノミヤツコ)・常道(ヒタチ)の仲国造(ナカノクニノミヤツコ)・長狭国造(ナガサノクニノミヤツコ)・伊勢の船木直(フナキノアタヒ)・尾張の丹波臣(ニワノオミ)・島田臣等の祖先です。

神沼河耳命(カムヌナカワ命=綏靖天皇)は天下を治めました。
神倭伊波礼毘古天皇(カムヤマトイハレビコノスメラミコト神武天皇)の享年は137歳。墓は畝火山(ウネビヤマ)の北の白梼尾(カシノオ)の上にあります。
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性格・能力

忌人(イワイビト)
「忌」という言葉は悪い意味に取られがちですが、「神」と「鬼」が物の怪(=人ならぬモノ)を表す同義の言葉であるように、悪い意味になったのは後の話。忌人と書いて「イワイビト」と読み、神の祭事を司り、呪言を読み上げ呪術を行う仕事をする人です。祝詞とどこが違うか?は分かりません。似たようなものではないかと思います。
神武天皇の墓
神武天皇の墓は畝火山の北の方の白梼尾にあると書かれています。神武天皇に関して実在するか否かという議論があります。ここで「墓の所在」を書く以上は、少なくとも古事記を書いた当時、この場所に神武天皇の墓が誰の目にも明らかにあった――と考えるほうが自然です。

そんな偉い人の墓が「かつてあった」程度のなら書かないほうがマシです。古事記を読んだ人に「え? 神武天皇ってその程度の人なの?」と突っ込まれるからです。古事記・日本書紀の編纂の理由が「大和朝廷の権威付け」ならば、なお更、そんなことは避けたいでしょう。
137歳について
神武天皇は137歳で没しました。ここを上げて神武天皇は居なかった、ひいては古事記はでたらめばかり、と突っ込む人がいるらしいです。
そもそも古事記は神話から歴史書へと綺麗なグラデーションで移行する妙な本です。そのくらいのことで文句を言っていては駄目……というのもありますが…
古代の日本では一年で二回年を取っていました。春分と秋分です。なぜ春分と秋分なのかについてはハッキリしませんが、神社が山を真東に見て建っていて、真東から太陽が昇る日――それが春分と秋分ということが何か関係しているのかもしれません。
一年に二回年を取るということは137歳は単純に言って、68歳。当時としては長命でしょうが、十分ありうる数字です。この後の天皇も40代もいますが、90代も居て、当時は今より短命であると考えると40代は20代ですから、そのくらいで死んでしまってもおかしくないし、90代は40代と思うとこれも妙ではないです。
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原文

ここに神八井耳命(カムヤヰミミノミコト)、弟 建沼河耳命(タケヌナカハミミノミコト)に譲りて曰さく、「吾は仇を殺すこと能はず。汝命はすでに仇をえ殺したまひき。故、吾は兄なれども上となるべからず。ここをもちて汝命上となりて、天の下治らしめせ。僕は汝命を扶けて、忌人となりて仕へ奉らむ」とまをしき。故、その日子八井命は、茨田連(マムタノムラジ)・手島連(テシマノムラジ)の祖。神八井耳命は、意富臣(オホノオミ)・小子部連(チヒサコベノムラジ)・坂合部連(サカヒベノムラジ)・火君(ヒノキミ)・大分君(オホキタノキミ)・阿蘇君(アソノキミ)・筑紫の三家連(ミヤケノムラジ)・雀部臣(サザキベノオミ)・雀部造(サザキベノミヤツコ)・小長谷造(ヲハツセノミヤツコ)・都祁直(ツケノアタヒ)・伊余国造(イヨノクニノミヤツコ)・科野国造(シナノノクニノミヤツコ)・道(ミチノク)の石城国造(イハキノクニノミヤツコ)・常道(ヒタチ)の仲国造(ナカノクニノミヤツコ)・長狭国造(ナガサノクニノミヤツコ)・伊勢の船木直(フナキノアタヒ)・尾張の丹波臣(ニハノオミ)・島田臣等の祖なり。神沼河耳命は天の下治らしめしき。凡そこの神倭伊波礼毘古天皇(カムヤマトイハレビコノスメラミコト)の御年、壱佰参拾漆歳。御陵は畝火山の北の方の白梼尾(カシノヲ)の上にあり。
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