建内宿禰の子孫

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建内宿禰の子孫

漢字・読みタケノウチノスクネノシソン
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現代文訳

その建内宿禰の子供のうちの波多八代宿禰(ハタノヤシロノスクネ)は波多臣(ハタノオミ)・林臣(ハヤシノオミ)・波美臣(ハミノオミ)・星川臣(ホシカハノオミ)・淡海臣(アフミノオミ)・長谷部君(ハツセベノキミ)の祖先です。

建内宿禰の子供の一人、許勢小柄宿禰(コセノヲカラノスクネ)は、許勢臣(コセノオミ)・雀部臣(サザキベノオミ)・軽部臣(カルベノオミ)の祖先です。

建内宿禰の子供の一人、蘇賀石河宿禰(ソガノイシカハノスクネ)は、蘇我臣(ソガノオミ)・川辺臣(カハベノオミ)・田中臣・高向臣(タカムクノオミ)・小治田臣(ヲハリダノオミ)・桜井臣・岸田臣(キシダノオミ)等の祖先です。

建内宿禰の子供の一人、平群都久宿禰(ヘグリノツクノスクネ)は、平群臣(ヘグリノオミ)・佐和良臣(サワラノオミ)・馬御樴連(ウマノミクヒノムラジ)等の祖先です。

建内宿禰の子供の一人、木角宿禰(キノツノノスクネ)は、木臣(キノオミ)・都奴臣(ツヌノオミ)・坂本臣(サカモトノオミ)の祖先です。

建内宿禰の子供である、久米能摩伊刀比売(クメノマイトヒメ)、怒能伊呂比売(ノノイロヒメ)、次に葛城(カヅラキノ)長江(ナガエノ)曽都毘古(ソツビコ)は、玉手臣(タマデノオミ)・的臣(イクハノオミ)・生江臣(イクエノオミ)・阿芸那臣(アギナノオミ)等の祖先です。

建内宿禰の子供の一人、若子宿禰(ワクゴノスクネ)は、江野間臣(エノマノオミ)の祖先です。

孝元天皇は57歳で亡くなりました。
お墓は剣池(ツルギノイケ)の中(ナカノ)崗(ヲカ)のあたりにあります。
日本書紀の対応箇所
対応ページ、ほぼなし
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個人的コラム

建内宿禰の系譜
孝元天皇の内容はこの欠史8代の中では長い。でもその内容の三分の一は建内宿禰にあてられています。建内宿禰といえば、神宮皇后にも仕えた非常に長命の忠臣。子孫の名前を長く書いたということはそれだけ、重要な人物であり、当時の誰もが知っているような存在だったということでしょう。
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原文

波多八代宿禰(ハタノヤシロノスクネ)は、波多臣(ハタノオミ)・林臣(ハヤシノオミ)・波美臣(ハミノオミ)・星川臣(ホシカハノオミ)・淡海臣(アフミノオミ)・長谷部君(ハツセベノキミ)の祖なり。次に許勢小柄宿禰(コセノヲカラノスクネ)は、許勢臣(コセノオミ)・雀部臣(サザキベノオミ)・軽部臣(カルベノオミ)の祖なり。次に蘇賀石河宿禰(ソガノイシカハノスクネ)は、蘇我臣(ソガノオミ)・川辺臣(カハベノオミ)・田中臣・高向臣(タカムクノオミ)・小治田臣(ヲハリダノオミ)・桜井臣・岸田臣(キシダノオミ)等の祖なり。次に平群都久宿禰(ヘグリノツクノスクネ)は、平群臣(ヘグリノオミ)・佐和良臣(サワラノオミ)・馬御樴連(ウマノミクヒノムラジ)等の祖なり。次に木角宿禰(キノツノノスクネ)は、木臣(キノオミ)・都奴臣(ツヌノオミ)・坂本臣(サカモトノオミ)の祖なり。次に久米能摩伊刀比売(クメノマイトヒメ)、次に怒能伊呂比売(ノノイロヒメ)、次に葛城(カヅラキノ)長江(ナガエノ)曽都毘古(ソツビコ)は、玉手臣(タマデノオミ)・的臣(イクハノオミ)・生江臣(イクエノオミ)・阿芸那臣(アギナノオミ)等の祖なり。また若子宿禰(ワクゴノスクネ)は、江野間臣(エノマノオミ)の祖なり。この天皇の御年は伍拾漆歳(イソヂアマリナナトセ)。御陵は剣池(ツルギノイケ)の中(ナカノ)崗(ヲカ)の上にあり。
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