日本の皇祖なのに主体性の無い古事記のアマテラス

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古事記でのアマテラス

漢字・読みコジキデノアマテラス
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アマテラスの古事記での登場場面

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アマテラスは主体性が無い

アマテラスは世界にある神話の中では、主神のくせに、主体性がありません。また、どこか温和です。確かに、国譲りという理屈はどうあれ、人が築き上げた国を奪うということはありましたが、それでも全体を見るとそういった部分は一部で、アマテラスは温和です。

スサノオを迎え撃った。攻撃体勢ではあるが、主体的に攻める話ではなく、しかも結局戦わなかった。→須佐之男を迎え撃つアマテラス
●スサノオと誓約をして、負けた。もちろんストーリー上は勝ち負けの問題ではなく、スサノオの潔白を証明するものなのではある。→子供たちを分ける
●スサノオの乱暴狼藉を見守った→調子に乗る弟神 アマテラスはポジティブシンキング
アマテラスはスサノオの乱暴狼藉についに切れるが、その行動が、引き篭もることだった→天岩戸に籠る
天岩戸に籠ったが、思金神の策にだまされて、岩戸から引っ張りだされる→なにごとかと覗く 日の光が戻る
タカミムスビ神(=タカギ神)とセットで登場する→乱暴な国津神を静かにさせる神は? アメノワカヒコに弓と矢を持たせて地上へ キジを派遣しよう キジを射抜いた矢が天安河の河原に(このシーンではタカギ神) タケミカヅチの恫喝タケミカヅチの台詞の中でタカギ神と共に) オシホミミ神、地上に降りなさい(タカギ神と共に) サルタヒコが名乗る(タカギ神と共に) 高倉下の夢(タカギ神と共に)
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アマテラスは主祭神ではなかった

古事記・日本書紀はアマテラスが主神であり、皇祖神とされます。記紀というものが、天皇の系譜を示したものです。ところがアマテラス信仰は記紀の成立よりせいぜい数十年程度前で、歴史が無いのではないか? と言われています。

そうなると、なるほど、アマテラスに主体性が無いのは分かります。元々アマテラスは脇役だった。スサノオ・ツキヨミと兄弟だったのか、あとから追加されたか、兄弟ではあったし、物語にも出ていたが、メインキャラではなかった――のかもしれません。

アマテラスといえば伊勢神宮伊勢神宮に関する記述は「祟神天皇の后妃と御子2」に初めて見られますが、良く原文を読むと、「伊勢大神の宮」とあるだけです。これは本当に伊勢神宮のことでしょうか。それにアマテラスのことは書かれていません。伊勢には宮があったとしても、そこに祭られているのがアマテラスとは限りません。伊勢大神という言い方をするでしょうか?

そのとき伊勢の宮に祭られていた神は?
一番の有力候補はタカミムスビ神です。古事記ではアマテラスとセットになって高天原を管理運営していました。

別の候補としてはサルタヒコもあります。サルタヒコは道を照らす道祖神というニュアンスもありますが、目は赤く、光を放つことから、太陽神の側面もありました。
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