三輪山説話・美和の由来

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三輪山説話・美和の由来

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現代文訳

両親はその男性のことを知りたいと想い、娘(イクタマヨリビメ)に言いました。
「赤土を床にまき、糸巻きに巻いた長い麻糸を針に通して、男の着物のスソに刺しなさい」
娘は言うとおりにして、翌朝見てみると、麻糸は戸の鍵穴を通り、糸巻きに残っていた麻糸はたった三巻き(=三輪)だけでした。
それで鍵穴から男が出て行ったことを知り、糸をたどっていくと、三輪山の神社にたどり着きました。それでその男は神の子(=オオモノヌシ)と知ったのです。
この麻糸が三巻(=三輪)残っていたことから、その土地を「美和」と呼ぶようになりました。
意富多々泥古命(オホタタネコノミコトは神君(ミワノキミ)・鴨君(カモノキミ)の祖先です。
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解説

この三輪山説話は、朝鮮半島や台湾にも見られます。どうやら南方から伝わった神が結びついた結果のよう。やっぱり東南アジアか。
赤土は
古代では「赤」は聖なる意味がありました。鳥居が赤いのもそのせいです。しかし、ま、なんで赤が聖なる色なのか????

魏志倭人伝には「倭人は朱や丹を塗っていた」と記述があります。魏志倭人伝はせいぜい3世紀までの話ですが、参考になります。倭人は全身に刺青をしていました。この風習は南方系です。それでどうして朱・丹を塗るのかというと、「皮膚病予防」です。よくアフリカ人が全身に泥を塗っているのを見ますが、あれと同じです。北方は寒いので刺青や朱丹を塗ることはありません。それより保温が大事だからです。しかし南方ではそれより病気が心配。朱・丹は病気避けであり、魔よけであり、転じて聖なる色なわけです。多分。
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個人的コラム

もしかして三輪って
大神神社と書いて「オオミワ」と呼ぶように、ミワという単語はそもそも「神」を言い表していたんじゃないか、と思います。

そのミワを古事記の中で地名説話という形で説明することで神話を取り込んで行ったのでは??

原文

ここを以ちてその父母、その人を知らむと欲へて曰はく、「赤土(ハニ)を以ちて床の前に散らし、へその紡麻(ウミオ)を針に貫き、その衣の襴(スソ)に刺せ」といひき。かれ、教への如くして旦時に見れば、針著けし麻は、戸の鉤穴より控き通りて出でて、ただ遺れる麻は三勾(ミワ)のみなりき。ここに即ち、鉤穴より出でし状を知りて、糸のまにまに尋ね行けば、美和山に至りて神の社に留まりき。かれ、その神の子とは知りぬ。かれ、その麻の三勾 遺りしによりて、其地を名づけて美和といふなり。この意富多々泥古命(オホタタネコノミコト)は、神君(ミワノキミ)・鴨君(カモノキミ)の祖なり。
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