建波邇安王の反逆

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建波邇安王の反逆

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現代文訳

祟神天皇のとき、大毘古命(オオビコノミコト)を高志道(コシノミチ=越国)に、また、オオビコの子供である建沼河別命(タケヌナカハワケノミコト)を東の国の12の国に派遣して、従わない人たちを服従させました。

また日子坐王(ヒコイマスノミコ)を丹波国に派遣して、玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)という人間を殺しました。

さて、オオビコ命が越国に行ったときの話です。
腰に布を巻いた少女が山代の平坂に立っていました。そして歌を歌っていました。

御真木入日子(ミマキイリビコ=祟神天皇)よ
御真木入日子(ミマキイリビコ)よ
自分の命を狙っている人が
入れ違い、行きかい、
様子を伺っているというのに
何も知らないで……
御真木入日子(ミマキイリビコ)よ
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解説

大毘古命孝元天皇の息子。次に派遣されるタケヌナカワワケ命の父親。参考:孝元天皇と妻、その子供たち 孝元天皇の子孫 祟神天皇の后妃と御子2
建沼河別命大毘古命の息子。参考:孝元天皇の子孫
日子坐王大活躍の日子坐王。開化天皇の息子。子沢山でこの子孫に神功皇后ことオキナガタラシヒメがいます。参考:開化天皇の子供たち 開化天皇の孫たち 日子坐王の子供たち 日子坐王の子孫 息長帯比売命への系譜
玖賀耳之御笠丹後風土記残欠にもある名前。土蜘蛛という見下された賊とされながら、名前に「御」と「耳」という尊称があり、「人」でありながら、古事記に名前が取り上げられていることなど、無視できないほどの存在だったと思われます。
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原文

またこの御世に大毘古命(オオビコノミコト)をば高志道(コシノミチ)に遣はし、その子建沼河別命(タケヌナカワワケノミコト)をば東の方十二道に遣はして、そのまつろはぬ人等を和平しめたまひき。また日子坐王(ヒコイマスノミコ)をば旦波国に遣はして、玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)、こは人の名なり、を殺さしめたまひき。かれ、大毘古命 高志国に罷り往きし時、腰裳服せる少女、山代(ヤマシロ)の幣羅坂(ヘラサカ)に立ちて歌ひて曰はく、

御真木入日子(ミマキイリビコ)はや 御真木入日子はや 己が緒を 盗み殺せむと 後つ戸よ い行き違ひ 前つ戸よ い行き違ひ 窺(ウカカ)はく 知らにと 御真木入日子はや《23》
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