垂仁天皇の沙本毘古王討伐

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垂仁天皇の沙本毘古王討伐

漢字・読みスイニンテンノウノサホビコノキミトウバツ
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原文

ここに天皇詔りたまはく、「吾は殆(ホトホト)に欺(アザム)かえつるかも」とのりたまひて、すなはち軍を興して沙本毘古王(サホビコノミコ)を撃ちたまひし時、その王稲城を作りて待ち戦ひき。この時、沙本毘売命(サホビメノミコト)その兄に得忍びず、後門より逃げ出でて、その稲城に納りましき。この時その后妊身みませり。ここに天皇、その后の懐妊みませること、また愛重みたまふこと三年に至りぬるに忍びたまはざりき。かれ、その軍を廻らして急かには攻迫めたまはざりき。かく逗留(トドコホ)りし間に、その妊みませる御子、既に産れましぬ。
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現代文訳

垂仁天皇は言いました。
「わたしは危うくだまし討ちに会うところだった」

そしてすぐに軍を率いて、サホビコ王を討伐しました。

その討伐した際のことです。
サホビコ王は稲を束ねて壁を作り、垂仁天皇の軍勢を待ち構えていました。サホビメは兄を想い、宮の裏門から抜け出して兄の稲で出来た城に入ってしまいました。そのときサホビメは妊娠していました。

垂仁天応はサホビメが妊娠していることと、三年もの間に育んだ愛情ゆえに思い悩み、サホビコの稲城を攻めきれず、周囲を囲むばかりで、膠着しました。

そうしている間に、サホビメの腹の中の子は生まれてしまいました。
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解説

稲城
ワラの束を積み重ねて、矢や投石を防いだらしい。
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