本牟智和気御子の養育方法

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本牟智和気御子の養育方法

漢字・読みホムチワケノミコノヨウイクホウホウ
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原文

また天皇、その后に命詔して言はく、「凡そ子の名は必ず母の名づくるを、何とかこの子の御名を称さむ」とのりたまひき。ここに答へて白さく、「今、火の稲城を焼く時に当りて、火中に生れましぬ。かれ、その御名は本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)と称すべし」とまをしき。また命詔したまはく、「何にして日(ヒ)足(タ)し奉(マツ)らむ」とのりたまへば、答へて白さく、「御母を取り、大湯坐(オホユヱ)・若湯坐(ワカユヱ)を定めて、日足し奉るべし」とまをしき。かれ、その后の白したまひしまにまに日足し奉りき。
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現代文訳

垂仁天皇は后のサホビメに言いました。

「子供の名前は母親が名づけるものだ。
何と名前をつけるとよいだろう」

するとサホビメが答えました。

「今、火(ホムラ)のついた稲城を焼いているときに生まれました。だから、本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)と名付けてください」

また垂仁天皇
「どうやって育てればいいか?」
と問うと

「乳母をつけてください。
大湯坐(オオユエ)・若湯坐(ワカユエ)をつけて育ててください」

それで垂仁天皇は言われたとおりに育てたのです。
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解説

火中から生まれる意味
火の付いた稲の束で出来た城の中から生まれた「ホムチワケ」という図式はコノハナサクヤヒメが火をつけた小屋で産んだシーンとオーバーラップします。
参考:出産の誓約 火の三兄弟

コノハナサクヤヒメから生まれた子供は火にちなんだ名前がつき、その後山幸彦となるホオリ命の別名は天津日高日子穂穂手見命。稲の「穂」が名前に入っています。火の燃え広がる様子が植物(特に稲)の成長を表していたのかもしれません。縄文の焼畑を連想しますし、火の後に出来る「灰」は土壌改良に重要なものです。これらの示唆を全て含んでいるのかもしれませんし、いないのかもしれません。

大湯坐若湯坐
オオユエ・ワカユエは赤ん坊に産湯をつける役割のこと。「大」と「若」は年の上下を表しています。
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