ヒバスヒメとオトヒメとウタゴリヒメとマトノヒメ

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ヒバスヒメとオトヒメとウタゴリヒメとマトノヒメ

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原文

またその后の白したまひしまにまに、美知能宇斯王(ミチノウシノミコ)の女等、比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)、次に弟比売命(オトヒメノミコト)、次に歌凝比売命(ウタゴリヒメノミコト)、次に円野比売命(マトノヒメノミコト)、并せて四柱を喚上げたまひき。然るに比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)・弟比売命(オトヒメノミコト)の二柱を留めて、その弟王二柱は、いと凶醜いきによりて、本つ土に返し送りたまひき。

現代文訳

サホビメが言うとおりに垂仁天皇は美知能宇斯王(ミチノウシノミコ)の娘の、
比婆須比売命(ヒバスヒメ)
弟比売命(オトヒメ)
歌凝比売命(ウタゴリヒメ)
円野比売命(マトノヒメ)
全部で4柱を妻として迎えました。

ところが比婆須比売命(ヒバスヒメ)・弟比売命(オトヒメ)だけを残して、あとのニ柱の妹(=ウタゴリヒメとマトノヒメ)たちは、容姿が悪かったので、故郷に送り返してしまいました。
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解説

四姉妹のうち、二人を返還
サホビメが死にその後に使える妻として
「旦波比古多々須美智宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシノミコ)の女、名は兄比売(エヒメ)・弟比売(オトヒメ)」が提案されたはずでした(参考:サホビメの死)が、何故か4柱の女神が垂仁天皇に嫁ぎます。そして4柱のうち、2柱が不細工であるという理由で送り返されます。
問題点
●サホビメが提案したのはエヒメとオトヒメだった。にも関わらず、妻として迎えたなかにオトヒメは居てもエヒメは居ない。
●2柱が提案されたのに4柱を迎えた。ただし結果的に残ったのは2柱。という意味では矛盾はない。
伝承がゆえの矛盾?
日本書紀では本伝以外に異伝をいくつか乗せる形式と成っています。これはその物語が「曖昧」であり、「神話」「伝承」の色合いが濃いためです。口から口へと伝わるうちに物語の詳細が増えたり削られたりするのは当然でしょう。
つまりこの物語が史実ではなく、伝承を書き記した可能性が高いということです。ただしエヒメ・オトヒメという言葉は「兄姫・弟姫」であり、ようは「姉妹姫」という意味です。個人名を指していなかった可能性もあります。また最後には2柱しか迎えなかったということは事実としては矛盾していませんし、もしかするとサホビメが死んだときには四姉妹のうち上の二人しか生まれていなかったのかもしれません。
参考:日子坐王の子孫
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