垂仁天皇の墓

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垂仁天皇の墓

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原文

この天皇の御年、壱佰伍拾参歳。御陵(ミハカ)は菅原の御立野の中にあり。またその大后比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)の時に石祝作を定め、また土師部を定めたまひき。この后は、狭木の寺間陵(テラマノハカ)に葬りまつりき

現代文訳

垂仁天皇は153歳で亡くなりました。

お墓は菅原の御立野の中にあります。

皇后の比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)の時に石の棺をつくる部民を定めました。またそれまで氏族の有力者が亡くなった場合に従者が生き埋めにされていましたが、従者の代わりに埋める土作りの人形(埴輪)を作る土師部を定めました。この比婆須比売命の墓は狭木の寺間陵にあります。
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解説

垂仁天皇は153歳。これも二倍年暦であると考えると76歳ほどで、当時としては長生きではありますが、十分あり得る現実的な年齢です。

菅原の御立野唐招提寺の西北の垂仁天皇稜のこと、とされています。
狭木の寺間陵サキは佐紀郷【現在の佐紀町,歌姫町,山陵(みささぎ)町付近一帯の総称】で、このうち奈良市山陵町が寺間陵とされています。

個人的コラム

ヒバスヒメの特別扱いについて
これまで皇族氏族の有力者がなくなると従者も墓に生き埋めにされていました。これに心を痛めた垂仁天皇は野見宿禰に相談して従者の代わりに埴輪を作って埋めることにしました。
なぜこれをわざわざ「ヒバスヒメが皇后のとき」と書いたのでしょうか。実際にその決断に強い意志を働かせたのがヒバスヒメだからではないでしょうか。わかんないけど。
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