ヤマトタケルのクマソ征伐

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ヤマトタケルのクマソ征伐

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現代文訳

「まさにその通りでしょう。
西には我らを除いて強いものは居ない。
しかし、大和には我らよりも強い男がいた。
私の名前を献上しよう。
これより倭建御子(ヤマトタケルノミコ)名乗れ」
その言葉を聴いて、オウス命はクマソタケルを熟した瓜を割くように切り裂いて殺しました。

それからオウス命はヤマトタケルと呼ばれるようになりました。

それで大和へ帰る途中で山の神、河の神や、海峡の神を従えました。
古事記の対応箇所
景行天皇(二十六)日本童男から日本武皇子へ
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解説

ヤマトタケル誕生
オウス命はこれよりヤマトタケルとなります。似たような経緯にオオクニヌシオオナムチから名前が変わるという場面がありました。

「名前が変わる」ということは役割が変わり、性質が変わるという意味合いがあるようです。また「名前をもらう」というのは、その地域を従えたという意味もあります。応神天皇のホンダワケという名前も交換した名前です。
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個人的コラム

ヤマトタケルと日本の神話
オウス命は兄であすオオウス命を便所から出てくるところを殺して、手足を引き裂いて捨ててしまう乱暴者、いやいや乱暴者という言葉では足りないです。

そんなオウス命の性格を見込んでというか、厄介払いという意味もあったのか、クマソ征伐です。しかも単身です。そこで結果ヒーローとなります。

似たような経緯がそういえば「スサノオ」にもありました。スサノオ高天原で大暴れし、結果地上に落とされます。その際はヒゲを剃られ、爪を剥がれ、宝物も没収されています。その後はヤマタノオロチを倒してヒーローになっています。
乱暴者がヒーローに
日本のヒーロー像の一つがここにあるのではないでしょうか。手に負えない乱暴者がその蛮勇故に別の場所(役割)ではヒーローとなる。神話ではないですが、宮本武蔵や織田信長にも似たようなニオイを感じます。日本人が求めるヒーロー像の原型があるのではないでしょうか。

原文

ここにその熊曽建 白さく、「信に然ならむ。西の方に吾二人を除きて、建く強き人無し。然るに大倭国(オオヤマトノクニ)に、吾二人に益りて建き男は坐しけり。ここをもちて吾(ワレ)御名を献らむ。今より以後(ノチ)は、倭建御子(ヤマトタケルノミコ)と称(タタ)ふべし」とまをしき。このこと白し訖へしかば、すなはち熟瓜(ホソヂ)の如振り析きて殺したまひき。かれ、その時より御名を称(タタ)へて倭建命(ヤマトタケルノミコト)と謂ふ。然して還り上ります時に、山の神、河の神、また穴戸(アナト)の神を皆言向け和して参上りたまひき。
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