能煩野に至りましし

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能煩野に至りましし

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概要

そこより幸行して能煩野(ノボノ)に到りましし時、国を思ひて歌曰ひたまはく、

倭(ヤマト)は 国のまほろば たたなづく 青垣(アオカキ) 山隠れる 倭しうるはし

現代文訳

そこから進んで能煩野(ノボノ)に到着しました。
そこでヤマトタケルは故郷を想い歌いました。

大和は良い国だ
幾重にも重なる垣根のような山々
山に隠れる大和は懐かしく、美しい
参考景行天皇(十五)日向の地名説話と思邦歌

解説

能煩野(ノボノ)
三重県鈴鹿市加佐登町のあたりとされる。

ここに来てヤマトタケルは大和に思いをはせます。死亡フラグ立ちまくり。
ところがこの歌
この歌は日本書紀ではヤマトタケルではなく景行天皇がクマソ征伐のために九州へ言った際に大和をしのんで歌った歌とされるもの。

つまりこの歌は朝廷内の儀式で歌われていた「大和を称える歌」を物語りに組み込んだもの。つまりヤマトタケルの神話性が高まるものです。

個人的コラム

古代のロードームービー
地名説話を織り交ぜながら息吹山から大和へと帰る途中で徐々に力を失い、ついには果てる様を表現しています。その合間の歌も涙を誘う演出です。

ひっくり返せば演出が過ぎるということも。
なぜヤマトタケルか
神武天皇の活躍の後、欠史八代と言われる系譜と簡単な事件だけの天皇があり、景行天皇です。なぜこの時代に様々なフィクションの物語をはめ込むのか?? もっと欠史八代の天皇にも満遍なく入れ込めばいいのでは??

どうも天皇の系譜と「神話」は収集方法が別だったのではないか?と思うのです。元々、帝紀という系譜の書物があったらしいとは言われていて、それは代々残っていた。また、旧辞という神話を書いていたとされる本もあった。この二つは同じ本だと考える人もいますが、まぁそれは今はどうでもいいです。

ようは、天皇は代々何かしらの本か口伝を残していたってことです。

それと当時広がっていた「神話」を収集してまとめあげたのが古事記。でも収集した神話と帝紀は合致しない。しなくて当然。何百年も別々の物語として伝わってきたし、そもそもそれぞれの神話は関係だって無かった。それを無理やりに結びつけたので、いろいろと不具合がある。

神話は氏族の根幹
当時収集した神話はそれぞれの氏族にとって自分達の存在理由を示す大事なものだった。しかも氏族は同じ神話を共有しているものも多かった。有力な氏族が枝分かれして、大きな勢力になっているということもあったろう。
それで、無視できない神話も多かった。それはつまり大和朝廷が決して求心力が強いわけではなかったという理由も大きい。

つまりアチコチの氏族の顔を立てているうちに、矛盾もある。ということではないか? 今の言葉で言うところの「玉虫色の決着」ということ。

古事記の不具合とか矛盾というのはそういう理由じゃないかと思う。
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