なづきの田の稲幹に

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なづきの田の稲幹に

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原文

ここに倭に坐す后等また御子等、諸(モロモロ)下り到りて御陵を作り、すなはち其地のなづき田に葡匐ひ廻りて、哭きて歌曰ひたまはく、

なづきの田の 稲幹(イナガラ)に 稲幹に 葡(ハ)ひ廻(モトホ)ろふ 野老蔓(トコロヅラ)

現代文訳

大和にいたヤマトタケルの妻達と子供達は、皆、大和から下ってヤマトタケルが亡くなった場所に来て、墓をつくりました。

そしてその墓の周囲の田んぼを這い回って、泣いて歌いました。

墓の近くの田の稲の茎
稲の茎に絡みつくトコロイモの蔦(ツタ)のように悲しむ私達
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解説

下る
現在の電車・新幹線の上り線・下り線は東京から見てです。東京から離れるのは下りです。この古事記の当時の首都は大和ですから、大和から別の地域に移動することは「下る」です。この頃から首都と地方の感覚って変わってないって凄いと思います。
墓と田んぼと
后と子供たちは墓を作り、その周囲を泣いて匍匐して回ります。これが古代の葬送儀礼のようです。ミヤズヒメとオトタチバナヒメ以外にも后がいて子供が居たんですね。いつ作ったんだろうか??

それはともかく。墓は田んぼの中に作るんでしょうか?? さぁ? 分かりません。

ただ今回の歌もどうやらハメこんだだけ。というのもヤマトタケルが死に、その後、白鳥となって飛び立つという話は日本書紀にも書かれていますが、この「歌」は日本書紀には載っていません。

この「なづきの田の稲幹に」という歌は元々は「恋愛の歌」だったという話もあります。つまり「稲に絡みつくトコロイモのツタみたいに、あなたに未練がある」という感じでしょう。そんな歌をよくねじ込んだな、と思う――本当かなぁ……
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