西の方に国あり

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西の方に国あり

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原文

ここに大后帰神(カムガカリ)して、言教へ覚して詔りたまはく、「西の方に国あり。金銀を本として、目の炎耀(カカヤ)く種々(クサグサ)の珍(ウヅ)の宝、多にその国にあり。吾、今その国を帰せ賜はむ」とのりたまひき。

現代文訳

オキナガタラシヒメ皇后は神がかって言いました。

「西に国がある。
金銀をはじめ、目の輝く様々な珍しい宝が、その国には沢山ある。
私が、その国を与えよう」

解説

わたしは神
皇后の身には神が降りているので、この台詞の「私」とは「神」のことです。皇后は神を身に降ろした「神」そのものです。そしてその言葉を判断するサニワのタケノウチノスクネ。その場を琴を弾いて盛り上げる仲哀天皇

西の金銀の国
それは朝鮮半島です。朝鮮半島は金銀というよりは、「鉄」の大産地です。弁韓という現在の朝鮮半島の南部にあった国では鉄が通過のように流通していました。後には日本人や中国人が朝鮮半島の山から鉄を切り出して持ち帰っていました。それが「貿易」かというとよく分かりません。

三国志の弁韓についての記述では全身に刺青があり、日本の風習とよく似ていたそうです。また礼儀正しく道ですれ違うとお辞儀をしていました。

弁韓はここで語られる西の国とは違います。そして時代も違います。朝鮮半島は鉄の産地だったということです。

金銀に価値
当時の大事なものは「鉄」でした。加工でき、硬い。日本は鍛錬(=タタラなど鉄を叩いて不純物を出し硬く締める)することができましたから、武器としても非常に優秀でした。当時の朝鮮には型にはめてつくる技術しかなく、それが当時の日本の強さだったと思われます。

朝鮮の正史「三国史記」には日本が新羅に何度と無く攻め入っていることが分かっていて、あるときは「日本が来る」と噂が立っただけで、村人が山に逃げて、一人も居なくなったという話も書いてあります。

その結果が、後の、半島の国々の日本への朝貢になります。また、日本には半島の国々の王子が人質として幼年期を過ごしています。事実上の属国です。ここいらの話が、神功皇后の三韓征伐に表現されているのではないか?と思います。

神功皇后は推古天皇あたりがモデル、というのが定説ですが、日本書紀には「卑弥呼神功皇后」と書いてあるように、同一人物かはともかくとしても同時代かもしれません。
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