新羅の国に押し騰りて

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新羅の国に押し騰りて

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現代文訳

船が立てる波が、新羅の国に津波となってあがり、国の半分に達しました。

そこで新羅の国王は恐ろしくなり

「これより
天皇の命令に従い、
馬飼いとして、毎年船を並べて、船が乾く暇も無く、舵が乾くことも無く、天地の続く限り、おつかえ致します」
と言いました。
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解説

船から波が立ち、その波が国の半分まで上る。これは怖い。新羅の王が戦わずして屈服するのも分からないでもない。

ところで朝鮮半島は山が少ないです。山があっても低い。波が国の半分まで達するのはそういうことが影響してるのかも。

新羅は馬飼い
毎年貢物を納めに行きますと約束する新羅王。なぜ新羅なのか? 日本は新羅に白村江で戦い破れ、朝鮮半島への進出を諦めています。この恨みが「新羅憎し」の原因という話も。

馬は半島から
魏志倭人伝には「日本に馬は居ない」と書かれています。日本は縄文人も弥生人も海洋民族ですから馬は知らなかったみたいです。
この神功皇后のときに馬が始めて渡ってきたか?というのは分かりません。
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個人的コラム

日本が朝鮮へ進出した時期について
日本は4世紀から5世紀(朝鮮南部に任那があった時期)に新羅を制圧していて、貢物を納めるようにはなったのですが、神功皇后の話がコレなのかについては「どうも違う」というのが一般的。

推古天皇以降の女帝をモデルにしたのではないか?というのが直木孝次郎の説だが、三国志に「朝鮮半島には日本人が住んでいた」という記述があるように、もしかすると2世紀くらいにも、日本は朝鮮に進出したのかもしれない。

新羅の建国は西暦356年。ただし朝鮮の正史三国史記を元にすると紀元前57年になり、三国史記に日本にボコボコにされた様子が描かれているのを見ると、2世紀というのもさもありなん。まぁ、素人の戯言です。

原文

かれ、その御船の波瀾、新羅(シラギ)の国に押し騰(アガ)りて、既に半国(クニノナカラ)に到りき。ここにその国王畏惶(カシコ)みて奏言さく、

「今より以後天皇の命のまにまに、御馬甘(ミマカイ)として、毎年に船双めて、船腹乾さず、柂(サヲ)檝(カジ)乾さず、天地の共退むことなく仕へ奉らむ」とまをしき。
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