新羅国は御馬甘 百済国は渡の屯家

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原文

かれ、是をもちて新羅国は御馬甘(ミマカイ)と定め、百済国は渡の屯家(ミヤケ)と定めたまひき。ここにその御杖(ミツエ)以ちて新羅の国主の門に衝き立て、すなはち墨江大神(スミエノオオカミ)の荒御魂(アラミタマ)を以ちて、国守ります神として祭り鎮めて還り渡りたまひき。

現代文訳

これによって新羅は馬飼いの国と定めました。
百済は海の出張所としました。

そこで皇后は杖を新羅の国王の家の門に突きたてて、住吉三神の荒御魂(アラミタマ)を祀って、国を守る神として鎮座しました。

そして海を渡って帰りました。
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解説

バカにしているのか、それとも
新羅は馬飼い。百済は海外拠点。
朝鮮半島を見下している。ような気もしますが、新羅の国王の家の前に杖を立てて、住吉三神を祀った、ということは、この新羅という国を壊して、吸収して、搾取するということとも違うよう。

気温と朝鮮半島
弥生時代は寒かった。その後2、3世紀は気温が上昇し4世紀には温暖になりました。その後は若干寒くなりましたが、6世紀初めから7世紀前半までは温暖。その後、寒冷化しました。

弥生時代極寒
2世紀 温暖 邪馬台国?
3世紀 温暖 卑弥呼 大和政権誕生?
4世紀 超温暖 日本の半島進出
5世紀 寒冷 好太王碑には404年日本の敗北
6世紀 前半寒冷
6世紀 後半温暖 562年の任那の滅亡
7世紀 前半温暖
7世紀 後半寒冷 663年の白村江の敗戦

日本は気温が暖かくなると国力が増し、結果として半島に出るっぽい。理由は稲。朝鮮半島は寒い。ソウルなんて東北と緯度が同じ。寒い。めちゃくちゃ寒い。

そんな朝鮮半島だから、暖かい時代ならば米は作れるが(それでも南半分)、寒い時代では半島で米は作れない。なので半島に進出する意味は無い。日本にとってはコメが作れるかどうか? が大事。気温と合致するのはそこらへんが大きいと思われる。

もしも神功皇后が4-5世紀の半島進出を表していないならば、卑弥呼などの時代の伝承が混じっているか、残っていて、不明な部分を執筆当時の知識で埋めたということはある、ような気がしないでもない。
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