息長帯日売命は既に崩りましぬ

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息長帯日売命は既に崩りましぬ

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原文

ここに建振熊命(タケフルクマノミコト)権りて、「息長帯日売命(オキナガタラシヒメノミコト)は既に崩りましぬ。かれ、更に戦ふべきことなし」と云はしめて、即ち弓絃(ユヅル)を絶ちて、欺陽りて帰服ひき。ここにその将軍既に詐を信けて、弓を弭(ハズ)し、兵を蔵めき。ここに頂髪(タキフサ)の中より設弦(ウサユヅル)を採り出して、更に張りて追ひ撃ちき。

現代文訳

建振熊命(タケフルクマノミコト)は

「オキナガタラシヒメ(神功皇后)は、すでに亡くなりました。これ以上、戦う理由はありません」

と言いました。
そしてすぐに弓のツルを切り、降伏しました。すると伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)はその嘘を信じて、同様に弓のツルを外し、武器を収めてしまいました。

すると、神功皇后の軍勢は、髪を束ねていた紐を弓に張って、戦闘を再開し、忍熊王(オシクマノミコ)の軍勢を追撃したのです。
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解説

タケフルクマ将軍の計略
タケフルクマは和爾市の先祖。イサヒノスクネは吉師部の先祖。

タケフルクマは神功皇后は死んだと嘘を付いて武器を収めた。するとイサヒノスクネも「それじゃあ」と武器を収める。ところがタケフルクマは弓のつるを張りなおして、さらに追撃した。

汚いなぁ!
計略が日本の美?なのか。ヤマトタケルのクマソ・イズモ攻略もやはり計略でしたね。でも、ヤマトタケルは一人で攻略しなくちゃいけないわけで、それは知恵です。ソレに対してタケフルクマの計略はなんか汚い。この手法では当時としても尊敬されないんじゃないか?とも思います。

個人的コラム

弓?
剣ではなく弓が話の中心にある。ヤマトタケルでは「剣」でした。

剣と弓があるとしたら、どちらが価値が高いか? 当時の「鉄」の価値からいうと、やっぱり剣ではないでしょうか? なにせ全部、金属で出来ていますから。

弓が戦いの主武器のこのお話、ヤマトタケルの物語より時代が古いんじゃない??かなぁ。
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