我に御食の魚を給ひき

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我に御食の魚を給ひき

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原文

かれ、その旦 浜に幸しし時、鼻毀(ヤブ)れたる入鹿魚(イルカ)、既に一浦に依りき。ここに御子、神に白さしめて云りたまはく、「我に御食の魚を給ひき」とのりたまひき。かれ、またその御名を称へて御食津大神(ミケツオオカミ)と号けき。かれ、今に気比大神(ケヒノオオカミ)と謂ふ。またその入鹿魚(イルカ)の鼻の血臭かりき。かれ、その浦を号けて血浦(チヌラ)と謂ひき。今は都奴賀(ツヌガ)と謂ふ。

現代文訳

ホンダワケ皇太子が翌朝、浜辺に行ってみると、鼻の傷ついたイルカが、集まっていました。

それを見て、皇太子は言いました。

「私は神より、食料の魚をたまわった」

それで、その神を御食津大神(ミケツオオカミ【ミケツは神の食べる食物・天皇が食べる食物の意味】)と名づけました。現在は気比大神といいます。

またイルカの鼻の血が臭かったので、その浦を「血浦」といいます。現在は「都奴賀(ツヌガ)」といいます。
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解説

敦賀は古代では朝鮮・九州・出雲と来て最後に来る交易の土地でした。この土地の海運業を営むもの――海人部は気比大神を信仰していました。そして潮や海の幸を朝廷に奉納していました。それで気比大神は「御食津(ミケツ)大神」と呼ばれるようになりました。

個人的コラム

イルカと海と
ホンダワケが浜に行ってみると、イルカが集まっていました。それを見て、ホンダワケは「食い物だ!!」と大はしゃぎ。

つまりイルカは食べ物。昔から食べていたんですね。ちなみに鯨とイルカの違いは、体長だけだそうです。

海の向こうからやってくるイルカ
日本人にとっては海の向こうから「宝物」や「神」がやってくるものです。そして死んだら海の向こうに帰っていきます。日本人にとって「すばらしい国」は海の向こうにあるものでした。これは沖縄のニライカナイ信仰由来のものです。

浜辺にイルカが集まる。これは海の向こうの異世界から貴重な蛋白源がやってくるということ。奇跡です。海からの贈り物です。

海を伝い日本に訪れ、海で生きる海洋民族の古代日本人にとって、海は外国という意味での「世界」と繋がり、かつ神や死者が住む「異世界」とも繋がる可能性を秘めていました。

ヒルコとエビスと
ところで、海に流れ着いたもの、というと「ヒルコ」を思い出します。イザナギイザナミの第一子でしたが不完全な神だったので捨てられたのです。

その後、浜辺に打ち上げられ「エビスさま」となります。しかし、エビスさまってのは本来はヒルコのことではありません。コトシロヌシスクナヒコナとも同一視されますが、それらもおそらくは後付です。本来は古代からある別の神です。

エビスさまについて
エビスさまは海に打ち上げられた鯨やイルカの死体ではないか?といわれています。古代日本の貴重な蛋白源。異世界があるはずの海の向こうからやってくるイルカや鯨。

これらの世界観を集約したものが「気比大神」と「ホンダワケ」の名前交換ではないかな、と考えています。
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