この蟹や……

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この蟹や……

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原文

ここに天皇、その大御酒盞を取らしめながら、御歌に曰りたまはく、

この蟹や いづくの蟹 百伝ふ 角鹿(ツヌガ)の蟹 横去らふ いづくに到る 伊知遅島(イチヂシマ) み島に着き 鳰鳥(ミホドリ)の 潜(カヅ)き息づき しなだゆふ 佐々那美道(ササナミチ)を すくすくと 我がいませばや 木幡の道に 逢はしし嬢子 後方は 小楯(ヲダテ)ろかも 歯並(ハナミ)は 椎菱(シヒヒシ)なす 櫟井(イチヒヰ)の 和邇坂(ワニサ)の土を 初土(ハツニ)は 膚(ハダ)赤らけみ 底土(シハニ)は 丹黒(ニグロ)きゆゑ 三つ栗の その中つ土を かぶつく 真火には当てず 眉画き こに画き垂れ 逢はしし美女 かもがと 我が見し子ら かくもがと 我が見し子に うたたけだに 向ひ居るかも い添ひ居るかも

とうたひたまひき。かく御合しまして生みましし御子は、宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)なり。
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現代文訳

応神天皇は酒を注がせながら歌いました。

この蟹はどこの蟹
角鹿の蟹
横に歩いて何処へ行く
伊知遅島(イチヂシマ)美島に着いて
潜ったり息継ぎしたりして
さざ波の道を行くと
木幡の道で少女と出合った
後姿はスラリとしていて
歯並びは綺麗だ
櫟井(イチイイ)の丸邇坂の土……
上の土は赤い
底の土は黒い
真ん中の土を弱い火であぶって眉を書いた少女
そんな少女に会いたいと思っていた
そんな少女がいま向かい合っている

と歌いました。
そうして応神天皇とヤカハエヒメの間に生まれた子供が宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)です。
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解説

かなり意訳がありますが、大体こんな感じでいいかなと思います。


横歩きする蟹。これが敦賀で取れた。敦賀は改めてみると琵琶湖の北。丸邇氏がいたのが山城と近江。そう考えると狭い話ですねぇ。

敦賀の蟹を天皇が食べている。ということは、敦賀は「大和朝廷」の仲間です。なにせ「食国」ですからね。食べ物が大事ですよ。

敦賀というとホンダワケ(=応神天皇)が敦賀の気比大神と名前を交換した話(伊奢沙和気大神が夢に出る)があります。

眉を土で書く
眉を土で書いていたんですねぇ。女性は昔から化粧をするものでしたか。しかも土をただ塗るのではなく、あぶってから。

そういえば魏志倭人伝には日本人は全身に「赤」い朱・丹を塗っていました。皮膚病予防であり、病は「魔」が原因とされていた時代なので、「魔除け」という意味もありました。この「赤」が神社の鳥居の赤に繋がっています。

この化粧とその「朱丹」が関係あるかどうかは分かりませんが、まぁー何かあったと思います。巫女は化粧をしていたのかもしれない。それは「魔」と関係があったのかもしれない。
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