道の後 古波陀嬢子を

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道の後 古波陀嬢子を

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原文

かく歌ひて賜ひき。かれ、その嬢子を賜はりし後、太子歌ひて曰はく、

道の後 古波陀(コハダ)嬢子を 雷のごと 聞こえし
かども 相枕まく

とうたひたまひき。また歌ひて曰はく、

道の後 古波陀(コハダ)嬢子は 争はず 寝しくをしぞも うるはしみ思ふ

とうたひたまひき。

現代文訳

と、歌いました。
オオサザキ命にカミナガヒメを与えた後にオオサザキ命は歌いました。

道の行き止まりから来た古波陀(コハダ)の少女
雷のようにうるさく聞いていたが
今は、腕枕しあって寝る

また歌いました。

道の行き止まりから来た古波陀(コハダ)の少女
争わずに、寝たなぁ
美しい少女と思う
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性格・能力

古波陀(コハダ)嬢子
コハダがどこかは分からない。地名だとは思われるが、もしかすると形容詞なのかもしれない。

この二つの歌も当然ながら、応神天皇が本当に歌った歌ではなく、地方の民謡をあてこんだもの。

個人的コラム

全部結婚の歌、なんじゃない?
いざ子ども野蒜摘みに
水溜る依網池
とこのページの「道の後……」の三つは結婚の場で歌われたものをまとめた歌なのかもしれません。水溜る依網池は単に池の水草採りの民謡かもしれませんが。

全体に漂うフィクション臭
ヤマトタケルは創作、という話はよく聞きますが、それでも複数の英雄を融合させた物語といいます。つまり「元ネタ」がしっかりとあった上での話しです。

しかしこの応神天皇とオオサザキ命のカミナガヒメを取り合うというか譲る話は、フィクションの割合が多い、感じがしますね。

豊明の会で、少女を譲る。そこで歌う。物語という体裁はとっていますが、あまりに宮中の祭りのあり方を説明しているような感じ。再現ドラマよろしくです。
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