譲り合う兄弟

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譲り合う兄弟

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原文

ここに大雀命(オホサザキノミコト)と宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)と二柱、各天下を譲りたまひし間に、海人大贄を貢りき。ここに兄は辞びて弟に貢らしめ、弟は辞びて兄に貢らしめて、相譲りたまひし間に、すでにあまたの日を経たり。かく相譲りたまふこと一(ヒトタビ)二時(フタタビ)にあらざりければ、海人すでに往還に疲れて泣きけり。かれ、諺に「海人や、己が物によりて泣く」と曰ふ。然るに宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)は早く崩りましき。かれ、大雀命(オホサザキノミコト)天下治らしめしき。
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現代文訳

オオサザキ命とウジノワキイラツコはお互いに皇位を譲り合いました。

海人が食事を献上したところ、兄は弟に譲り、弟は兄に譲りました。お互いに譲り合っているうちに、何日も日にちが経ちました。

そういうことが一度や二度ではなかったものですから、海人は何度も往復することになり、疲れて泣いてしまいました。

諺に「海人が自分の獲物に泣かされる」というのはこのことからです。

ウジノワキイラツコは早くに亡くなってしまいました。それでオオサザキ命が天下を治めました。
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解説

食事
当時は「貨幣」がありませんから、朝廷に納めるものはつまり「食べ物」です。ここで海人が捧げた「大贄」というのは本来は「神の食事」のことで、それはつまり、「天皇の食事」のことです。

その天皇が食べるべき食事を、兄と弟で譲り合ったわけです。

個人的コラム

兄弟で譲り合う
これは『中国の思想の影響』というのが定説です。中国の儒教の内容はザッと書くと「徳の高い人物が国を治めると上手く行く」というものでした。だから天皇の人物像を「いい感じ」にするために、こういう話が「作られた」というわけです。

しかし、応神天皇が「年下(ウジノワケイラツコのこと)に皇位を譲りたい」と言ったことは、古代から価値観である「末子相続」からです。

兄王オオヤマモリがウジノワキイラツコを殺そうとしたのは末子相続が気に入らないから――つまり権力闘争です。

オオサザキ命が弟に譲ることは自然です。

その一方でウジノワキイラツコが兄に譲ることは過去の価値観とは違います。ウジノワキイラツコは夭逝してしまい、次の天皇はオオサザキとなりました。ちなみに日本書紀ではウジノワキイラツコは自殺しています。

結論
脚色はあったとしても、「譲り合った」ことが嘘というのも早計に思います。応神天皇の時代、百済を経由して入ってきた中国の価値観は、場合によっては既存の日本の価値観とは異なっていました。

その揺れがこの物語じゃないかと思うのです。
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