アメノヒボコの子孫

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アメノヒボコの子孫

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現代文訳

アメノヒボコは但馬に留まって、多遅摩の俣尾(マタオ)の娘で、前津見(マヘツミ)を娶って産んだ子が、多遅摩母呂須玖(タヂマモロスク)です。

多遅摩母呂須玖(タヂマモロスク)の子が
多遅摩斐泥(タヂマヒネ)

多遅摩斐泥(タヂマヒネ)の子が
多遅摩比那良岐(タジマヒナラキ)

多遅摩比那良岐(タジマヒナラキ)の子が
多遅麻毛理(タヂマモリ)
多遅摩比多訶(タヂマヒタカ)
清日子(キヨヒコ)
です。

清日子(キヨヒコ)が当摩之咩斐(タギマノメヒ)を娶って産んだ子が、
酢鹿之諸男(スガノモロヲ)
妹の菅竈由良美(スガクドユラドミ)

多遅摩比多訶(タヂマヒタカ)が姪にあたる由良度美(ユラドミ)を娶って産んだ子が葛城(カヅラキ)の高額比売命(タカヌカヒメノミコト)です。

高額比売命は息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト神功皇后)の母親です。
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解説

アメノヒボコ神功皇后の祖先
アメノヒボコから数えて8代後だから、相当に離れていますね。これを持ってオキナガタラシヒメが朝鮮人という人も居ますが、無茶だろうと。まぁ、韓国の大学教授が「キリストは韓国人」と主張するくらいだから、真面目に言っているのかもしれない。

古代においては朝鮮半島と日本には貿易があり、人の行き来が盛んでした。アメノヒボコが日本にやってきたことも不思議ではありません。

逆に日本人が朝鮮半島に居た形跡もある。それが半島南部の前方後円墳の遺跡です。埋葬されているのが日本人かどうかは分かりませんが、どちらにしても日本が関わってもいないのにそんなものが立つわけがない。
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個人的コラム

反日史観を排除
神功皇后とか朝鮮の話には、前の戦争の経緯から、古代日本を見る目も「反日」が主流になっています。しかし、それは歴史改ざんです。

アメノヒボコが神功皇后の先祖、だとするならば、アメノヒボコの人間性を描いた話があまりに酷い。DVストーカーですよ。誇張があるとしても、朝鮮を文明国として日本が見ていたとは思えない。

それに仮に朝鮮が日本よりも進んだ超文明国だとするならば、アメノヒボコと神功皇后の繋がりは疑うべきでしょう。つまり神功皇后の朝鮮征伐を正当化するためにアメノヒボコを身内にしたと考えないとおかしい。でも、それはない。神功皇后からしてみればDVストーカー男を身内にするのは恥。書きたくないはずです。

ちなみに神功皇后の朝鮮征伐は4世紀のことと考えられています。ハッキリしているのは朝鮮の三国史記によると、日本はたびたび朝鮮半島に兵を進め、しかも相当強かったのです。

わたしはアメノヒボコの話も神功皇后の話も辻褄が合う、と思います。そこに余計なもの(朝鮮が優れているとか、日本は朝鮮の領土とか)をさしはさまなければ、実に客観的です。

原文

即ちその国に留まりて、多遅摩の俣尾(マタオ)の女、名は前津見(マヘツミ)を娶して生みし子、多遅摩母呂須玖(タヂマモロスク)。この子、多遅摩斐泥(タヂマヒネ)。この子、多遅摩比那良岐(タヂマヒナラキ)。この子、多遅麻毛理(タヂマモリ)。次に多遅摩比多訶(タヂマヒタカ)、次に清日子(キヨヒコ)。三柱。この清日子、当摩之咩斐(タギマノメヒ)を娶して生みし子、酢鹿之諸男(スガノモロヲ)、次に妹菅竈由良美(スガクドユラドミ)。かれ上に云ひし多遅摩比多訶(タヂマヒタカ)、その姪 由良度美(ユラドミ)を娶して生みし子、葛城(カヅラキ)の高額比売命(タカヌカヒメノミコト)。こは息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)の御祖なり。
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