応神天皇の治世

MENU
TOP>応神天皇(古事記)>応神天皇の治世
スポンサードリンク

応神天皇の治世

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

凡そこの品陀天皇(ホムダノスメラミコト)の御年、壱佰参拾歳(モモトセアマリミソトセ)。甲午(キノエウマ)の年の九月九日に崩りましき。御陵(ミハカ)は川内(カフチ)の恵賀(ヱガ)の裳伏崗(モフシノヲカ)にある。

現代文訳

応神天皇は130歳で亡くなりました。

甲午の年の九月九日に亡くなりました。
墓は河内の恵賀の裳伏崗にあります。

解説

河内の恵賀の裳伏崗
河内国志紀郡古市村(現在の大阪府羽曳野市誉田)の応神天皇陵のこと。

個人的コラム

応神天皇から干支が
応神天皇以降、古事記に天皇の死没年の干支が記載されるようになっています。「信憑性が薄い」とする人もいますが、神功皇后の朝鮮征伐によって百済を通じて中国の文化が入った結果と考えると色々と辻褄があいます。

応神天皇の時代は中国の文化が流入して、国内の思想や政治のシステムに大きな変化があった時代です。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集