神が生まれた理由:村から国へと組織が拡大したため

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神が生まれた理由:村から国へと組織が拡大したため

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概要

まとめ
●集団の発展のために神は生まれた
●小集団では技能が。中集団では統率力が。大集団では霊力が求められた。
●霊力の弱いリーダーは殺された。
●リーダーは霊力を分離して「王」と「神」に分けた。

まず人がいた

これはどこの原始的な社会でも同じことです。まだ人がいる程度のことで、いくつかの家族が合同で生活しているだけならば大したことはありませんでした。それが十個(数十人とか?)という家族が同じエリアで生活してくると「リーダー」が必要になります。

そのリーダーも最初はただ頭が良かったり、腕力があったり、経験が豊富だとか、なにか秀でているだけで良かったのですが、集団が数百人とか大きくなってくると、ただ秀でているだけでは不足する。集団を統率出来なくなってきます。

そこで求められる素質が「霊力」でした。魔力でもいいです。ようは人ならぬ力です。

もちろん人間ですから、それ以前から「人ならぬ力」に恐れおののく気持ちがありました。決して、集団が大きくなったことで「霊力」が発明されたのではありません。漠然とした自然の畏怖はありました。ようはそれを身の内に取り込んだ人物でないと「リーダー」には成れなくなったってことです。
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リーダーの悲しみ

リーダーは今でいうところの会社の社長ですね。でも原始的社会のリーダーと現代の社長では決定的な違いがあります。霊力、ではありません。

原始社会のリーダーは霊力が資質として求められるようになり、そういう怪しげな能力を見せられる人物がリーダーになりました。といっても、集団を統率している「力」は霊力ではありません。あくまで「統率のノウハウ」です。霊力があると思わせることでより大きな集団を率いることができたわけで、霊力すら「統率のノウハウ」の一つに過ぎませんでした。

そんな感じでもう一段階大きな集団(数千人とか?)になると、今度は集団を本来コントロールしてきた「統率力」ですら集団を動かすことができなくなります。

これはおそらく、霊力を根源とした統率をするあまり、「リーダー」が人間ではなくなってしまったからです。

このころになると収穫や戦争を左右する要素に霊力が大きな割合を占めるようになります。霊力が強いリーダーでないと集団は発展しないわけです。戦争にも勝てません。発展しないだけならまだしも、衰退し、もしかすると戦争に負け、全滅することもあるのです。

リーダーはより強い霊力のあるものが求められます。

では、リーダーの霊力が衰えてしまったら、古代の人たちはどうしたのでしょうか??

リーダーを殺して新しくて霊力の強いリーダーを迎えるのです。現代の社長は失策の責任を取らされて解任されることはあっても殺されはしません。
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ぞれでは古代人は衰退するだけ

作物の収穫には様々な要因が重なります。雨量・温度・日照時間・肥料・作物の種類や品種・作業工程などなど。古代では現在のように科学が発達していませんから、努力して完璧にこなしたからといって、期待する収穫が出来るとは限りません。リーダーの個人的な責任を問われ、そのたびに殺されてはだれもリーダーになりたがりませんし、安定的な集団の発展も見込めません。極端な話、干ばつがある度にリーダーが殺されていては集団はいつもパニック状態です。

そこで集団の発展のために、リーダー…つまり「王」から「霊力」を分離することにしました。それが「神」です。

これ以降、王は神の意思と神の霊力によって集団を運営することになります。王は神に祈ることになります。雨が降らないのは、病気が蔓延するのは、すべて神の意志なのです。神の怒りを鎮めるのは王の仕事です。
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一神教がより大きな集団へのカギ

となると、神を強化することでより大きな集団を統率するようになります。より強く、絶対的な神。その神にすがることで王は国を安定させようとします。

しかし、これは見方を変えると「責任転嫁」です。干ばつだの病気の蔓延のすべての責任を「王」に負わすのは残酷でしょう。でも、干ばつなら『ため池をつくる』とか『灌漑用水路を作る』といった対策もできたはずです。神はあくまで全力を尽くした結果のあと、どうしようもない部分の責任を押し付けるところでした。

といっても古代では科学というか科学的思考が発達していません。客観的な要因を客観的に考える素地がありません。つまり神の領域が非常に大きかったのです。それはひっくり返すと「科学」と「神」は相反するという意味でもあります。ただし「王の責任転嫁」についての話だけです。

責任転嫁しなくてはいけない領域が大きい時代では神は絶対的に強いほうがよいのです。神が弱いと、集団が神に疑問を持つからです。神を疑われるということは「王」の存在意義も疑われるということです。

だから王は神を強くします。唯一絶対の神が必要でした。その強い神がいないとより大きな集団への発達はありえなかった、と思います。
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多神教とは

神は人間が集団となり、集団が大きく発展する中で生まれた「発明」でした。王から神を分離したことで、役割を分けたのです。省庁をいくつも作るのと同じようなものです。

だから集団の数だけ神がいました。

ギリシャ神話に多数の神々が出てくるのも日本も同様なのもそういうことでしょう。ゼウスを信仰していた都市がほかの都市を取り込んだとき、その神話も取り込みました。だからゼウスにはたくさんの愛人がいるんです。征服された都市の女神を愛人にするんです。これは「奪った」という側面もあったのでしょうが、「妥協案」でもあります。征服された都市も「神話」に組み込んで「仲間意識」を持たせるためでしょう。
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