第一段一書(五)海の上で根づくところが無いでいる浮雲

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第一段一書(五)海の上で根づくところが無いでいる浮雲

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原文

一書曰、天地未生之時、譬猶海上浮雲無所根係。其中生一物。如葦牙之初生埿中也。便化爲人。號国常立尊。

現代文訳

ある書によると…
天と地がまだ区別がつかないときのこと。それは例えるならば、海の上で根づくところが無いでいる浮雲のようだった。

そこにひとつの物が生まれた。

葦の芽が初めて泥の中から生えて来たようだった。やがて人の形となった。

それが国常立尊(クニノトコタチミコト)です。
古事記の対応箇所
天地開闢と造化三神の登場
特別な五柱の天津神
神世七代
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解説

泥から生える葦がいかに日本人にとって魅力的な…というか魔力に満ちた存在か?と分かる。

ところで、これまでの中でも「ひとつの物が生まれた」という表現があって、現代の私たちから見ると「神」を「物」と表現するのが何処か、味気ないというか、失礼な感じすらします。

でも「物」とは「モノノケ」の物です。そもそも「物」には「霊」が宿るものという感覚が日本人にはあります。刀鍛冶の執着心が刀に宿ったものが「妖刀」となる、なんて設定の話をよく聞きます。長く使ったモノには愛着がわくものです。「物には魂が宿る」……それは日本人にとっては当たり前のことです。
擬人化
日本文化のおかしさ、妙なものの例として外国の人は「擬人化」を挙げます。

最近ではウィンドウズなどのOSを擬人化します。またゆるキャラの多くは特産品の擬人化です。モノが魂を持つことを日本人はなんら不思議に思いません。

かといっても、日本書紀での「物」が「神」というニュアンスを持っているわけではありません。物と神は繋がっていて、分けられないのです。岩や木に神がいると感じる日本人には「物」という表現は冷たい表現ではないってことです。
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