第五段一書(六)-2黄泉の国

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第五段一書(六)-2黄泉の国

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原文

第五段一書(六)-2
然後、伊弉諾尊、追伊弉冉尊、入於黃泉、而及之共語時。伊弉冉尊曰、吾夫君尊、何來之晩也。吾已湌泉之竈矣。雖然、吾當寢息。請勿視之。伊弉諾尊不聽、陰取湯津爪櫛、牽折其雄柱、以爲秉炬、而見之者、則膿沸蟲流。今世人夜忌一片之火、又夜忌擲櫛、此其緣也。

時伊弉諾尊、大驚之曰、吾不意到於不須也凶目汚穢之国矣、乃急走廻歸。于時、伊弉冉尊恨曰、何不用要言、令吾恥辱、乃遣泉津醜女八人、一云、泉津日狹女、追留之。故伊弉諾尊、拔劒背揮以逃矣。因投黑鬘。此卽化成蒲陶。醜女見而採噉之。噉了則更追。伊弉諾尊、又投湯津爪櫛。此卽化成筍。醜女亦以拔噉之。噉了則更追。後則伊弉冉尊、亦自來追。是時、伊弉諾尊、已到泉津平坂。

一云、伊弉諾尊、乃向大樹放尿。此卽化成巨川。泉津日狹女、將渡其水之間、伊弉諾尊、已至泉津平坂。

故便以千人所引磐石、塞其坂路。與伊弉冉尊相向而立、遂建絶妻之誓。
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現代文訳

第五段一書(六)-2
第五段一書(六)-1冥土めぐりの続き

その後、イザナギイザナミの跡を追って黄泉の国に入り、話し合いました。
イザナミ
「わたしの夫イザナギよ。
どうしてもっと早く来なかったのですか?
わたしはもう、この黄泉の国の竈(カマド)で炊いた食べ物を口にしてしまったのです。
私は今から寝るところです。どうか、見ないでください」
と頼みました。
しかしイザナギは聞き入れずに、髪に挿していた神聖な櫛「湯津爪櫛(ユツツマクシ)」を手に取り、櫛の端の太い歯(=男柱)を折って、火をつけて松明の代わりにして、イザナミの寝姿を見ました。
イザナミの体にはウジ虫が這いまわり、膿が噴出していました。
現在の人が、夜に一本の明かりを灯す「ひとつ火」を嫌い、夜に櫛を投げるのを嫌うのは、このためです

イザナギは驚きました。
「私は何も知らないうちに、とんでもなく嫌な、汚らわしいところに来てしまっていた!!」
と言うと大急ぎで走り去りました。
それを聞いたイザナミはイザナギを恨みました。
「どうして、あなたはわたしに恥をかかせるのですか!!!」
と言うと、イザナミは泉津醜女(ヨモツシコメ)を8人さし向けました。
一説によると泉津日狹女(ヨモツヒサメ)がヨモツシコメが追うのを止めた、とも

イザナギは追ってくるヨモツシコメに気づいて、剣を抜き、振って逃げました。
イザナギが黒いカツラ(髪留めのこと)を投げると、それが野葡萄の実になりました。ヨモツシコメたちはそれを摘んで食べました。食べ終わると更に追いかけました。
イザナギが湯津爪櫛(ユツツメクシ)を投げると、これがタケノコになりました。ヨモツシコメはタケノコを引き抜いて食べました。食べ終わると更に追いかけました。
イザナミも追いかけ始めました。
このとき、イザナギはあの世とこの世の境にあるという泉津平坂(ヨモツヒラサカ)にたどり着きました。
一説によると、イザナギが大きな木におしっこをしました。これが大きな川になり、それをヨモツシコメが渡っている間にイザナギは泉津平坂にたどり着いた、とも言われています。

イザナギは、千人が引っ張ってやっと動くような大きな石で坂道を塞いでしまいました。そこで岩を挟んでイザナミと向かい合い、絶縁の申し出をしたのです。

つづく
古事記の対応箇所
黄泉の国へ
イザナミは既に…
逃げろ!
日本最初の離婚・死の呪い
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解説

第五段一書(六)-1冥土めぐりの続きです。
オルフェウスの冥土巡り
明治時代に日本を訪れた学者が驚いたのが、日本の神話がギリシャ神話に似ていることでした。その中で特異なのが「イザナギとイザナミ」のこの物語と「オルフェウスの冥土巡り」でした。
参考:黄泉戸喫
ヨモツヒサメについて
ヨモツヒサメのくだり(一云、泉津日狹女、追留之。)は本によって書き方が違います。ヨモツヒサメがヨモツシコメの別名という書き方をしている人もいます。漢文の知識はないのでこの訳が正しいかは分かりません。
日本書紀神代の漢文は文法が無茶苦茶という指摘がある。漢文として成立していないらしいです。よって私の訳が正しいのかもしんない。

野葡萄とタケノコ
野葡萄は食用としてだけでなく、ツルで編んで道具を作ることが出来ます。タケノコも同様に食べられて、道具の材料として便利です。どちらも「人間を助ける」ということから、特別視されていたのではないか?と思われます。

個人的コラム

黄泉の国
黄泉の国に「泉」と当てているのは地下水が湧き出ることをイメージしているのか、それとも、「泉津平坂」という名前から考えると地下ではなく、あくまで山の向こうといったイメージなのか? 個人的には両方だと思います。

「天」というイメージと「地底」があって、相対する価値を提示しているとしても、それは後付けのような気が。それと黄泉の国が水平世界の山向こうか、それとも地下かというのとは別問題だと考えています。

古代において「ケガレ」とは「死」の匂いのことです。死体が腐り、病気が蔓延する。死が死を呼ぶわけです。だから死者は土に埋めます。死者には地上に上がって来ては困るのです。だから重石を載せます。今で言うところの墓石です。しかも、生活圏から離れた場所に埋めます。出来るだけケガレから遠く離れたいからです。

死者の国である穢れた場所「黄泉の国」は、地下か、水平世界の山向こうか?? おそらく両方の要素があります。泉津平坂は地下への坂という側面と遠く離れた埋葬地へ続く道という両方の側面を持っていると思います。
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