第八段一書(二)安芸国の可愛川での大蛇との戦い

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第八段一書(二)安芸国の可愛川での大蛇との戦い

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原文

一書曰、是時、素戔鳴尊、下到於安藝国可愛之川上也。彼處有神、名曰脚摩手摩、其妻名曰稻田宮主簀狹之八箇耳、此神正在姙身。夫妻共愁、乃告素戔鳴尊曰「我生兒雖多、毎生輙有八岐大蛇來呑、不得一存。今吾且産、恐亦見呑、是以哀傷。」素戔鳴尊乃教之曰「汝、可以衆菓釀酒八甕、吾當爲汝殺蛇。」二神隨教設酒。至産時、必彼大蛇、當戸將呑兒焉。

素戔鳴尊勅蛇曰「汝、是可畏之神、敢不饗乎。」乃以八甕酒、毎口沃入。其蛇飲酒而睡。素戔鳴尊、拔劒斬之、至斬尾時、劒刃少缺、割而視之、則劒在尾中、是號草薙劒、此今在尾張国吾湯市村、卽熱田祝部所掌之神是也。其斷蛇劒、號曰蛇之麁正、此今在石上也。是後、以稻田宮主簀狹之八箇耳生兒眞髮觸奇稻田媛、遷置於出雲国簸川上、而長養焉。然後、素戔鳴尊、以爲妃而所生兒之六世孫、是曰大己貴命。大己貴、此云於褒婀娜武智。
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現代語訳

第八段一書(二)
ある書によると……
スサノオは安芸の国の可愛の川(エノカワ)の川上に天から降りてきました。

そこに神が居ました。
神の名前は脚摩手摩(アシナヅテナヅ)といいます。
その妻の名前は稻田宮主簀狹之八箇耳(イナダノミヤヌシスサノヤツミミ)といいます。

この神は妊娠していました。

夫婦が心配そうにして、スサノオに言いました。
「わたしが生んだ子供は多かったのですが、生むたびにすぐに八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が来て、飲み込んでしまいます。それで一人も残っていません。
今からわたしは出産しますが、おそらくはまた呑まれてしまいます。
それで悲しんでいるのです」

スサノオは教えました。
「お前たちはたくさんの木の実を集めて、八個の甕(カメ)だけ酒を醸造しろ。そうしたら、私がお前たちのために大蛇を殺してやろう」

夫婦はスサノオに言われるように酒を用意しました。

それで出産のときになると、やはり大蛇がやってきて子供を飲もうとした。スサノオは大蛇に向かって言いました。

「お前は恐るべき力を持った神だ!
そこで御馳走をしよう!!」
八個の甕(カメ)の酒をヤマタノオロチの8個の口にそれぞれ注いで飲ませました。それでオロチは酒を飲んで酔っ払って眠ってしまいました。

スサノオは眠った大蛇を剣を抜いて切ってしまいました。尾を切るときに剣の刃が少し欠けてしまいました。

尾を割って見ると、中には剣がありました。

これを草薙剣(クサナギノツルギ)と言います。

草薙の剣は現在尾張の国の吾湯市村(アユチノムラ)にあります。熱田神宮の祝部(ハフリベ)が祀っている神はこれです。

その大蛇を切った剣は蛇之麁正(オロチノアラマサ)といいます。これは今は石上神社(イソノカミ)にあります。

稻田宮主簀狹之八箇耳(イナダノミヤヌシスサノヤツミミ)が生んだ子の眞髪觸奇稻田媛(マカミフルクシイナダヒメ)は、出雲の簸の川(ヒノカワ)の川上に引っ越して、長い間養育しました。

のちにこの姫はスサノオの妃(キサキ=后)となって生んだ六世孫が大己貴命(オオナムチ)といいます。
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解説

可愛の川(エノカワ)
広島県北東部を流れる江の川(ゴウノカワ)のこと。可愛川という広島で現在でも呼ばれているとネットに書いてあるが、広島在住の私は知らない。
関係する神社が清神社(スガジンジャ)です。

特異点
この話では本文のテナヅチにあたる稻田宮主簀狹之八箇耳(イナダノミヤヌシスサノヤツミミ)が妊娠中でクシイナダヒメはまだお腹の中です。

また

大蛇ではありますが、スサノオが瓶を口に注げる程度の大きさであり、スサノオがオロチの口に注ぐという、ちょっと宴会っぽいというか、大蛇には強大な力がありますが、割と頑張れば勝てそうな感じがします。
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神社や関連する土地

清神社(スガジンジャ)
清神社にはこの八段(二)に関係する神々が祀られています。

個人的コラム

ニュアンスが違うな
本文ではヤマタノオロチは川の氾濫だろうな、と思える記述が多かったのですが、この一書では「出産説話」という感じがします。

個人的解釈ではこんな感じです。

古代では出産は大事なことだった。子が増えれば人手が増えて、開墾も出来るし、作業も楽になる。古代の日本は水耕稲作をやっていた。水耕稲作は単位面積当たりのカロリーが高く、豊かで狭い面積でも沢山の人間が生きていける。

だから、出産すればするほど集落は豊かになる。だから出産が大事だった。戦争して余所の集落の土地を奪うより効率が良かった。

しかし出産には危険が伴う。
現代だから出産のときの乳幼児の死亡率は0.1%程度だが、古代では当然高かった。その原因は分からないが、当時の日本人はそれを「魔」が起こすと考えた。だから魔を払わないといけない。

魔を払うためにどうしたか??

酒を飲んだ。
魔に酒をふるまった。
それで、生まれる子供の命を見逃してもらおうとした。

その結果、手に入れたのが草薙の剣
草薙の剣は「武力」の象徴ではなく、鉄の農機具の象徴だろうと思う。子供がたくさん生まれるということは、集落の発展につながる。集落の発展とは農業の発展です。鉄の農機具は農業革命というべきものだったから、そこに結び付いたのではないか、と。
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