飛座船石

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飛座船石

漢字・読みヒザフナイシ
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概要

宇佐八幡宮(防府市)にある巨石。宇佐八幡宮が現在の鈴屋という土地に移設されたのはこの石の上の八幡さまが出現したことが理由。

物語・由来

宇佐八幡宮(防府市)が現在の鈴屋に来る前には八筈岳の中腹伊勢山にあったとされます。八筈岳ってのは近くの「矢筈岳」。矢筈ケ岳の北の大歳神社に御相殿したとあるので、現在は古い宇佐八幡宮は一緒になっているのでしょう(未取材)。

この古い神社から現在の鈴屋に移設した理由というのが天文二年(1523)に飛座船石に八幡さまが出現したというもの。

1523年というとバリバリの戦国時代。

個人的コラム

戦国時代に移設した。
というのは変な感じがします。

戦国時代は戦争前に神に祈り、戦争後に神に奉納するような時代です。苦しい時の神頼みじゃないけど、全てではないですが神が戦争の命運を握っていた。それだけじゃなく、神社は様々な利権を握り、兵力すら持っていた(宇佐八幡宮の前の神社がそうだったかは不明)。寺は「僧兵」で神社は「神人(ジニン)」です。

八幡さまってのは、鎌倉源氏が奉った武神というイメージが強いです。でも、神社の由緒書きを見ると、前の八幡宮には鎌降り石という石があったということだし、「八幡」は八幡でもどうやら「豊作祈願」の農業目的の神社のよう。
八幡が武神となったのは鎌倉時代以降と思われます。それ以前の八幡は農耕の神です。もっと言うなら八幡=応神というのも後付け。


想像ですが、時代に合わせて「農業神としての八幡」から「戦争に強い八幡」へと鞍替えしたのではないか?と思います。酒屋がコンビニになるようなものじゃないかと。その理由づけがこの巨石だろうと。

前の八幡宮が大歳神社という農耕神と一緒になっているのはそのためではないかと。
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