第九段本文―6出雲の三穗之碕にて

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第九段本文―6出雲の三穗之碕にて

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原文

二神、於是、降到出雲国五十田狹之小汀、則拔十握劒、倒植於地、踞其鋒端而問大己貴神曰「高皇産靈尊、欲降皇孫、君臨此地。故、先遣我二神驅除平定。汝意何如、當須避不。」時大己貴神對曰「當問我子、然後將報。」是時、其子事代主神、遊行、在於出雲国三穗(三穗、此云美保)之碕、以釣魚爲樂、或曰、遊鳥爲樂。故、以熊野諸手船亦名天鴿船載使者稻背脛、遣之、而致高皇産靈尊勅於事代主神、且問將報之辭。時、事代主神、謂使者曰「今天神有此借問之勅、我父宜當奉避。吾亦不可違。」因於海中造八重蒼柴柴、此云府璽籬、蹈船枻(船枻、此云浮那能倍)而避之。使者既還報命。
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現代語訳

この二柱の神(フツヌシタケミカヅチ)は天から出雲の五十田狹之小汀(イサタノオハマ)に降りました。そこで十握劒(トツカノツルギ)を抜いて、地に逆さまに突き刺し、立てて、その剣先に胡坐(アグラ)をかいて座り、大己貴神(オオアナムチノカミ=オオクニヌシ)に問いました。

「高皇産靈尊(タカミムスビミコト)は皇孫(スメミマ)を天から下して、この土地(=葦原中国=出雲)に君臨しようと思っている。だから、まず私たち二柱の神(=フツヌシタケミカヅチ)が、従わない神を追い払い、平定するために派遣された。おまえはどう考えている?? (国を譲り)ここを去るか??」
すると大己貴神(オオアナムチノカミ)は答えました。
「我が子に相談してみましょう。
それで答えます」

このとき、事代主神(コトシロヌシノカミ)は出雲の三穗之碕(ミホノサキ)に遊びに出掛けていました。
三穗は美保(ミホ)と読みます。

そこで事代主神(コトシロヌシノカミ)は魚釣りを楽しんでいました。
一説には鳥を狩っていました

二柱の神(フツヌシタケミカヅチ)は事代主神(コトシロヌシノカミ)の元へと熊野諸手船(クマノノモロタノフネ=櫂のたくさんついた船?)に使者の稻背脛(イナセノハギ)を乗せて派遣しました。
別名を天鴿船(アマノハトフネ=鳩のように速く飛ぶ船?)といいます

そして高皇産靈(タカミムスビノカミ)の「国譲り」の命令を事代主神(コトシロヌシノカミ)に伝え、返事を求めました。

事代主神(コトシロヌシノカミ)は使者に言いました。
「今、天津神の命令がありました。
私の父(=オオナムチオオクニヌシ)は国を譲り、去るでしょう。わたしもそれに従います」
事代主神(コトシロヌシノカミ)は海の中に八重蒼柴籬(ヤエアオフシカキ=青葉の垣の神座)を作り、船枻(フナノヘ=船の端)を踏んで、姿を消しました。

使者は帰って報告しました。
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解説

皇孫を天から下して……
アマテラスが皇祖なのですが、ニニギから見るとタカミムスビもやはり祖父なのだから皇祖になるかもしれません。でも、タカミムスビがまるで主導者であるかのような行動です。

おそらくこの物語が成立した時点ではタカミムスビが「皇祖」だったのではないか?と思います。アマテラスの信仰が成立したのは古事記の成立の数十年前程度とされるからです。
事代主神は死んだ?
日本書紀では事代主神の娘の姫踏鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)が神武天皇の皇后になります。
古事記では大物主神がヒメタタライスズヒメの父親。

また二代目天皇綏靖天皇の皇后の五十鈴依媛命(イスズヨリヒメノミコト)も事代主神の娘で、姫踏鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)の妹にあたる。ただし、古事記では五十鈴依媛命(イスズヨリヒメノミコト)は登場しない。

上記の今後を踏まえると、事代主神(コトシロヌシ)は死んだとは考えにくい。姿を消しただけで、今後の方がより強い影響力(権力)を持つことになります。

事代主神が葛城の神の一言主(ヒトコトヌシ)と同一、もしくは一言主(ヒトコトヌシ)が事代主神になった、と考えられるのはそのためです。
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